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児玉教授の動画

「歴史に残る怒りの16分」と言われる児玉教授の動画を紹介。

2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会
「放射線の健康への影響」参考人説明より
児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)



You tubeアドレスは

http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo


「義憤」という言葉は別に好きではないけど、原発の問題を語るときに、心の底から抑えきれずに湧き上がる怒りを持たずに、ただ評論家然として語ってはいけないな、と思う。

もっとみんな、怒らなければならないのだ。

問題を矮小化しようとする奴ら、責任を誤魔化そうとする奴ら、それらの者は、子供たち一人ひとりの未来なんかより、自分の地位や権力を守ることのほうが大事なのだ。

今ほど、そういった連中の心性が明らかになったときはない。
これ以上騙され続けてはいけない。

TVでもっともらしいことをしゃべっている人たちの、その表情の端から、言葉の裏から透けて見えてくるものが、「保身」なのか、「権力欲」なのか、「他人事」なのか、それとも「怒り」や「悲しみ」なのか、よく見定めなければ。
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橋下徹のTwitterより

以下は橋下徹大阪府知事本人の、5月19日のTwitter上での発言。


バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!だいたい、公立学校の教員は、日本国の公務員。税金で飯を食べさせてもらっている。国旗、国歌が嫌なら、日本の公務員を辞めろって言うんだ。君が代を起立して歌わない自由はある。それは公務員以外の国民だ。

posted at 15:55:44

公務員以外の国民には、国旗国歌は教育で諭すもの。納得をしてもらうもの。理解してもらうもの。それこそ子どもの時から教育するものなんだ。しかし、公務員は全く別。国旗、国歌を否定するなら、公務員を辞めろ。強力な身分保障の悪弊だね。

posted at 15:58:19

もちろんね、ほとんどの公務員は国旗国歌を大切にしている。公の使命を認識している。自衛隊、警察官、消防員、行政職員、教員もほとんどはね。でもね、一部トンチンカン職員がいることで、組織全体の信用が失墜する。一生懸命頑張っている公務員にとって迷惑なんだよ。分かってるのかね、不起立教員!

posted at 16:01:23

日本国の公務員なら、君が代に敬意を払え。敬意とは起立して歌うこと。これが社会の常識であり、国民大多数の普通の感覚。せめて、子どもたちの晴れ舞台は、厳粛なムードで祝福してあげろ。それが嫌なら、日本国の公務員を辞めて、自分の主張を通せる仕事をしろ!身分保障に甘えるな!

posted at 16:03:40



全文は下記アドレスにて。

http://twilog.org/t_ishin/date-110519

『歌わせたい男たち』リーディング

永井愛リーディング
『歌わせたい男たち』

永井愛が演出と演技指導を行う市民の出演者によるリーディング。
54名の応募の中からオーディションで選ばれた一般参加者が、5回の稽古を経て行う公演です。

日時:2011年5月29日(日)14時00分開演(13時40分開場)
会場:富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ マルチホール
     ※入場無料・全席自由

◎作・演出 永井愛
劇作家・演出家。二兎社主宰。
桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒。身辺や意識下に潜む問題をすくい上げ、現実の生活に直結した、ライブ感覚あふれる劇作を続けている。
演出面でも、リアルな装置を舞台一杯に飾った写実的なものから、前衛的な抽象舞台を使ったものまで、趣向を様々に変え、常に演劇的冒険を心がけている。
日本の演劇界を代表する劇作家の一人として海外でも注目を集め、『時の物置』、『萩家の三姉妹』、『片づけたい女たち』、『こんにちは、母さん』など多くの作品が、翻訳・リーディング上演されている。
2011年4月より、キラリふじみアソシエイトアーティスト。
最近の作品:『片づけたい女たち』『ゴロヴリョフ家の人々』『パートタイマー・秋子』『こんにちは、母さん』『萩家の三姉妹』『新・明暗』『歌わせたい男たち』『やわらかい服を着て』『書く女』『かたりの椅子』『シングルマザーズ』
紀伊國屋演劇賞個人賞・鶴屋南北戯曲賞・岸田國士戯曲賞・読売文学賞・朝日舞台芸術賞秋元松代賞などを受賞。

◎戯曲『歌わせたい男たち』
 2005年に二兎社によって初演され、 「朝日舞台芸術賞 グランプリ」「第13回読売演劇大賞 最優秀作品賞」を受賞。
 「国歌斉唱」をめぐって揺れ動く教師たちの内心に迫ったこの作品は、2008年には当館でも上演され多くの観客を魅了しました。

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ
〒354-0021 埼玉県富士見市大字鶴馬1803-1
TEL:049-268-7788 FAX:049-268-7780
URL:http://www.city.fujimi.saitama.jp/30shisetsu/99kirari

チラシ表
『歌わせたい』チラシ表

チラシ裏
チラシ裏





満月の夕



風が吹く港の方から
焼け跡を包むようにおどす風
悲しくて全てを笑う
乾く冬の夕

夕暮れが悲しみの街を包む
見渡すながめに言葉もなく
行くあてのない怒りだけが
胸をあつくする

声のない叫びは煙となり
風に吹かれ空へと舞い上がる
言葉にいったい何の意味がある
乾く冬の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

絶え間なくつき動かされて
誰もが時代に走らされた
すべてを失くした人はどこへ
行けばいいのだろう

それでも人はまた 汗を流し
何度でも出会いと別れを繰り返し
過ぎた日々の痛みを胸に
いつか見た夢を目指すだろう

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕


-------------

『満月の夕』はソウルフラワーの中川敬が阪神淡路大震災の被災地巡業の中で作ったバージョンのほうが有名だけど、沢知恵がカバーしているのはヒートウェイブの山口洋のバージョン。

「最初に中川さんの詞に出会っていたら、私はこの歌を歌っていなかったと思う。私は被災地の人間じゃないから。」とは沢の言葉。

山口は「俺は彼等(ソウルフラワー)のヴァージョンを歌うことは出来ない。だから東京でマスメディアが垂れ流す情報を観ていただけの立場から歌を仕上げた。」と述べている。


僕が当時最初にソウルフラワーのこの歌を聴いた時、「悲しくて全てを笑う」「解き放て 命で笑え」という歌詞に衝撃を受けたものだった。
TVで悲惨な映像を見ているだけの自分にはこういう発想は生まれ得なかった。被災地の中でともに泣き、笑い、歌った中川だからこそ書けた詞だったのだろう。

ソウルフラワーは結成以来ずっと聴いてはいたが、それほど好きな曲は無かったのだが、この曲には痺れてしまった。そしてやはりいまだにこの曲がマイベストフェバリットだ。

沖縄慰霊の日

今日は沖縄からのUst中継があったりいろいろイベントがあったようだが、『アリランのうた~オキナワからの証言』というドキュメンタリーの上映会に行ってきた。日本支配下で徴用され沖縄の戦地を生き延びた朝鮮人人夫たちの証言記録。今日の「琉球新報」の社説にもある「軍隊は住民を守らない」ということの、朝鮮人の側から証言集。
監督の朴壽南(パク・スナム 在日2世)さんの短いお話と現在製作中の、沖縄での集団自決の真実を追った『ぬちかふう(命果報)』のパイロット版もあわせて上映された。
この新作は集団自決が「軍命」によるものだった、という記述は2007年以降歴史教科書から削られてしまったが、「軍命」を否定した書物や証言の虚偽を暴き、新たな貴重な証言を記録したこの新作も、現在製作資金が底をついてしまっているという苦しい訴えもあった。
『アリランのうた』のほうも低予算で作られているせいか、「映像作品」として観賞に耐えるかはちょっと厳しいものがある。記録としては貴重なのだが。

ariran.jpg

最近何年かぶりに新曲を出したCocco




年明けて

2010年になってはや半月。
最近は毎日稽古やら何やらで帰宅が11時をまわる。
その時間でも唯一開いている24時間営業のスーパーで半額になった弁当を買い、夕食をとる。
そういう状況なので、なかなかブログを更新する時間がない。
ま、言い訳なのだが。

さてこの間に「憲法ミュージカル2009 ムツゴロウ・ラプソディー」の公演が終了しているのだが、それについてはいずれまた機会があれば書くかもしれない。
新しい舞台に飛び込んで無我夢中で駆け抜けた一昨年の『ロラマシン物語』と比べると、ムツゴロウでは色々なものが見えて来てしまい、不信感や疑念に取り憑かれ楽しむことが出来なかった。
その対象に打ち込めば打ち込むほど、失望した時の穴の大きさもまた大きい。しかしいつまでもその穴を眺めているわけにもいかないだろう。穴といっても所詮僕の脳細胞の中の微電流の営みに過ぎない。ハイチを襲ったような巨大なエネルギーとは比べるべくもないのだ。

さて、そんなわけで(というわけでもないのだが)、年明け早々2本の舞台に出演する。
それについてはまた次項で。

近況報告

久しぶりなので近況報告を。

今年の2月、10年間住んだ目白のマンションから大宮に引っ越した。
なぜ大宮かというのは、カミサンの家族が近くにいてカミサンにとって便利がいいからだ。
僕は今勤めている叔父の会社に両親が出入りしているから、別に家まで近くに建てる必要はない。

手を伸ばせば高崎線の電車に届くほどの線路の真横に、格安の土地を購入し、そのぶん家は贅沢に作った。
もっとも、設計その他、家のことはほとんどカミサン任せだった。
僕は書斎兼スタジオが欲しい、というだけである。
家の中で鏡に向かってピルエットの練習をして、バランスを崩しても壁や家具と激突しない程度の広さがあればいい。
あとはタップを踏んだりギターを掻き鳴らせるような防音性。壁を全て本棚にすれば、防音効果もあるだろう。
しかし防音スタジオではないので音はやはり外に漏れるが、元々線路の真横でうるさい場所だから、多少は大目に見てもらえるだろう。

…今日現在、この部屋はまだ荷物が片付いておらず、スタジオとして使ったことは一度もない。


最寄りの駅は大宮から「ニューシャトル」という名のモノレールで一駅の「鉄道博物館」だ。大宮からバス便もある。
自転車なら大宮まで10分くらい、歩けば30分はかかる。

職場の渋谷までは埼京線で通っている。朝は大宮の隣りの日進から各駅停車に乗ると、大宮で人が降りた隙に座ることが出来る。
7時に家を出て、帰りは8時ころだ。

通勤に往復3時間以上取られてしまうので、その分自分の時間は減った。
最初は電車の中で一生懸命本を読んでいたが、最近は眠ってしまっている。

仕事は業界が不景気なので、まあ暇と言えば暇なのだが、仕事が無いというのは精神的にはよろしくない。
体力的に頑張れるうちに頑張って、早く住宅ローンを返してしまいたいものだが、今のところ見通しは暗い。


今参加している三多摩の「憲法ミュージカル」は、稽古が土日のみなので遠いが何とか通えている。
カミサンからは「休みのたびに家のこともしないで遊びに行って!」と冷たい目で見られている。
ホントに、念願のマイホームは手にしたものの、家のことや自分のことに使える時間は非常に少ない。

そうして先日、41歳になった。

ちなみに今日は10年目の結婚記念日だった。
10年前にお祝いしてくれた皆さん、どうもありがとう、これからもよろしくお願いします。
またいつでも遊びに来て下さい(遠いけど)。

公共の福祉

『ムツゴロウ・ラプソディー』という作品が、日本国憲法とどう関連するのか。
大阪公演を観た時には、よく分からなかった。

そこでは巨大公共事業で自然が破壊され、漁民の生活が失われたことが描かれていた。

生態系が破壊されることは由々しきことなんだろうけど、憲法とどう関係するのだろうか?
補償金と引き換えに事業を承認した漁民たちも、予想を超えた漁業環境の悪化によって生活が出来なくなり、自殺者も出ているということだから、いわゆる「生存権」を問題にしているのだろうか?
あるいは無理に憲法と関連付けて考えないほうがいいのだろうか?

大阪では宣伝物には「憲法ミュージカル」ではなく「市民100人ミュージカル」と銘打っているから、そういうことなのだろうか?
それならば東京版も、「憲法」の看板は引っ込めたほうがいいんじゃないか?

・・・等々の疑問を抱いていたが、回答を得る機会がないままだった。


いま、東京公演のチケット普及を本格的に進める時期になり、憲法との関連性をはっきりさせる必要が生じて来ているのだろう、主催者側できちんと見解をまとめようとする動きが起こって来ている。

それによると、どうやらキーワードは(公共事業における)「公共の福祉」ということらしい。
確かに田中カントクも去年の大阪の記者会見の段階から「公共の福祉って何なのか?」と仰っていた(大阪のブログに動画あり)。

ネット検索で得られる情報によれば、「公共の福祉」とは、人権と人権が衝突した時の調整を図る概念とのこと。

これまで何となく「公共の福祉」とは「個人の自由や権利」より上にあるもの、「公共の福祉」の前ではワガママを言ってはいけないのだ、とそういうイメージを持っていたが、とんでもない間違いで、少なくとも今の憲法では「個人の自由や権利」は最も尊重される最上位にあるもので、公(権力)によって侵害されることは許されていない。唯一、「個人の自由や権利」同士がぶつかりあってしまった場合にのみ、この「公共の福祉」という概念で調整をはかる(つまり何らかの自由や権利が制限される)、ということらしい。

中高生のための憲法教室 「公共の福祉」ってなんだろう?

(ちなみに自民党の改憲案では「公益」とか「公の秩序」といったものによって人権が制限されうる危惧があるとか。
この改憲案を待たずとも、「公」が「私」よりも上位にあるという既成の観念が、国民から主権者意識を奪っているのだろうか。)


「公共の福祉」の名目で行われる巨大な公共事業が実際には税金の無駄遣いでしかないことは、広く指摘されていることだ。
中でも諫早干拓事業は失敗事例の代表格とされている。

事業の有用性が否定され弊害が露わになり、環境や生活が破壊されても顧みず突き進む「公共事業」という名の行政行為。
その正体は何なのか、それがどのように観客に提示されるのだろうか。

乞うご期待。

国民主権ということ

この連休中は憲法ミュージカルの合宿に参加した。

合宿に先立ち、先週の日曜には待ちに待った脚本が配布された。

「新政権の動向によって脚本を変えなければならない」と田中監督は仰っていたが、配られた脚本を読む限り6月の大阪公演とあまり変わっていないように思われた。

新政権のほうも言説では大きな転換を唱えているがそれがどのように実行・実現されるのかは、まだまだ不透明である。

今回の舞台のテーマが「早期の開門を訴える」ことだけであるなら、開門が決定されてしまうと公演自体が目的を失ってしまうが、11月の初日の幕が開くよりも先に諫早湾の開門が決定される、というほど迅速には進まないようだ。

いずれにしても政府のパフォーマンスや大臣の発言に踊らされないような、今回の公演で最も伝えるべきぶれないメッセージを僕らは持たなければいけない。

今回の「政権交代」とやらで、ギロチンを落とした側にいた者を含む多くの政治家の首がすげ替わったが、何が変わり、何が変わっていないのか。

政治とは富の再分配のシステムだ、というが、「公共事業」という名の税金の再分配によって、半世紀以上の間この国はカタチ造られて来た。
その根本を問い直していかなければ、次の選挙ではまた自民党が戻ってくるだろう。


今回の合宿の目玉は「よみがえれ!有明」訴訟の原告側弁護士団長の馬奈木先生の講演だった。
水俣病やじん肺訴訟で半世紀以上「国家」と闘ってきたこの方ほど、この「国」の真の姿を知っている人はいないのではないか。

県は、事業に反対する漁協は容赦なく潰しにかかる。
干拓事業の主目的である「防災」の嘘、そもそも「複式干拓が有効である」ことの嘘。
(2500億円という国民の税金がそれらの嘘によって騙し取られたのだ。)

自分たちは事業の「反対者」ではない、カネ欲しさに地元の漁業をメチャクチャにした上未来への責任も展望も持たない国・県に代わって、農業・漁業とも再生させる道を提案している自分たちこそがこの事業の真の意味での「推進者」である、という自負。

そしてその根本原理として、この国は政治家や官僚が作るのではなく、自分たち国民が作るのだ、ということ。
自分たちがこの国の「主権者」なのだという自覚。

(中学校の教科書で「国民主権」ということは教わるが、それが嘘だということ、政治家や官僚や財閥がこの国を作っていて国民は「主権者」ではなく「奴隷」だということは、誰も教えてくれない。憲法という「お題目」を有り難がっているうちに、国民は奴隷になった。国民は国家と闘うための武器としての憲法を自らの手に取り戻し、失った「主権」を回復するために立ち上がらなければ、国によって安楽死させられてしまうだろう――とは個人的意見。)

僕としては初めて諌早の問題と憲法が結び付いたような気がした。


果たしてこの夜、公演の主催者である弁護士たちと田中監督とで協議し、脚本を改訂することになったそうだ。

自然環境の豊かさとそれが失われた怒りのみを描くのではなく、人間を描くことが必要、という。

具体的にはこの事業の最大の被害者・犠牲者である殺された漁民たちの苦しみをさらにクローズアップすることになるようだ。

(「『ムツゴロウ』より『人魚姫』のほうが泣けた」と言ううちのカミサンの言葉を借りれば、「遠い地の可哀想な漁師さんたちのお話」で終わらせないためには、殺した側はすぐ側の霞ヶ関にいて、今も殺し続けている(つまり年間3万人の自殺者を生んでいる)ことを描かなければいけないと、個人的には思うのだが。)


そういう訳で翌日の、初めての「通し稽古」は、「台本を今後改訂する」という但し書き付きのものになった。

しかしそれ以外の演出は、全て大阪でやった時と同じだったような気がする。

どちらにしても、まだこの作品が見えてこない。

出演者たちは、通してみたらとにかくダンスに次ぐダンスで体力の限界に挑戦、最後はヘロヘロでテーマどころじゃない感じでもある。


ところでこの文章は、もともと憲法ミュージカルのブログに載せるべく書いていたものだ。公的機関の後援を受けているのにあまり「反政府」的なことを書いてはまずいだろうと、今までは遠慮していたが、結局それがお役所の下に自分を置く奴隷根性であるような気がして、しかし主催者に迷惑を掛ける訳にもいかないのでこちらに書くことにした。

これを機にまた自分のブログを再開していければとも思う。

昨日の訃報

松本サリン事件被害者の河野義行さんの奥様が昨日、亡くなられたそうだ。
事件以来14年と8日間、意識不明のままだった。

河野さん一家を襲ったサリン事件と警察・マスコミによる冤罪事件は、10年前に埼玉の憲法ミュージカルの第5回目で取り上げられた。この作品があまりに重苦しくて観ていて疲れてしまい、僕はその後埼玉の憲法ミュージカルから遠ざかってしまった。(田中カントクがまた一念発起して「あれを再演する!」とか言い出したらどうしよう…)

しかし今この訃報に接して、やはりあの舞台を思い出している。あの公演に関わった多くの人たちも、また同じだろう。あれから10年・・・。出演者たちにとっての10年はどういう日々だったのだろう。河野さんは「私にとっての松本サリン事件が今終わりました」と話された。

いつの日かTVのニュースで、「日本軍「慰安婦」の、最後の1人が亡くなった」という記事が流れる日が来るのだろう。それもそんなに先のことではない。
そのとき「ロラマシン物語」のお客さんたちは「そう言えばいつか、そんなミュージカルを見たっけなあ」と思い出してくれるだろうか。
そのとき歴史教科書に「従軍慰安婦」という言葉は記述されているだろうか。
そのとき日本とアジアの国々との関係は・・・そのとき憲法9条は・・・。


未来は、まだ全くの白紙だ。
人々と手をとりあって、切り拓いて行きたい。

さんたまの憲法ミュージカルは、来年にむけて少しづつ動き始めた。

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