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国民主権ということ

この連休中は憲法ミュージカルの合宿に参加した。

合宿に先立ち、先週の日曜には待ちに待った脚本が配布された。

「新政権の動向によって脚本を変えなければならない」と田中監督は仰っていたが、配られた脚本を読む限り6月の大阪公演とあまり変わっていないように思われた。

新政権のほうも言説では大きな転換を唱えているがそれがどのように実行・実現されるのかは、まだまだ不透明である。

今回の舞台のテーマが「早期の開門を訴える」ことだけであるなら、開門が決定されてしまうと公演自体が目的を失ってしまうが、11月の初日の幕が開くよりも先に諫早湾の開門が決定される、というほど迅速には進まないようだ。

いずれにしても政府のパフォーマンスや大臣の発言に踊らされないような、今回の公演で最も伝えるべきぶれないメッセージを僕らは持たなければいけない。

今回の「政権交代」とやらで、ギロチンを落とした側にいた者を含む多くの政治家の首がすげ替わったが、何が変わり、何が変わっていないのか。

政治とは富の再分配のシステムだ、というが、「公共事業」という名の税金の再分配によって、半世紀以上の間この国はカタチ造られて来た。
その根本を問い直していかなければ、次の選挙ではまた自民党が戻ってくるだろう。


今回の合宿の目玉は「よみがえれ!有明」訴訟の原告側弁護士団長の馬奈木先生の講演だった。
水俣病やじん肺訴訟で半世紀以上「国家」と闘ってきたこの方ほど、この「国」の真の姿を知っている人はいないのではないか。

県は、事業に反対する漁協は容赦なく潰しにかかる。
干拓事業の主目的である「防災」の嘘、そもそも「複式干拓が有効である」ことの嘘。
(2500億円という国民の税金がそれらの嘘によって騙し取られたのだ。)

自分たちは事業の「反対者」ではない、カネ欲しさに地元の漁業をメチャクチャにした上未来への責任も展望も持たない国・県に代わって、農業・漁業とも再生させる道を提案している自分たちこそがこの事業の真の意味での「推進者」である、という自負。

そしてその根本原理として、この国は政治家や官僚が作るのではなく、自分たち国民が作るのだ、ということ。
自分たちがこの国の「主権者」なのだという自覚。

(中学校の教科書で「国民主権」ということは教わるが、それが嘘だということ、政治家や官僚や財閥がこの国を作っていて国民は「主権者」ではなく「奴隷」だということは、誰も教えてくれない。憲法という「お題目」を有り難がっているうちに、国民は奴隷になった。国民は国家と闘うための武器としての憲法を自らの手に取り戻し、失った「主権」を回復するために立ち上がらなければ、国によって安楽死させられてしまうだろう――とは個人的意見。)

僕としては初めて諌早の問題と憲法が結び付いたような気がした。


果たしてこの夜、公演の主催者である弁護士たちと田中監督とで協議し、脚本を改訂することになったそうだ。

自然環境の豊かさとそれが失われた怒りのみを描くのではなく、人間を描くことが必要、という。

具体的にはこの事業の最大の被害者・犠牲者である殺された漁民たちの苦しみをさらにクローズアップすることになるようだ。

(「『ムツゴロウ』より『人魚姫』のほうが泣けた」と言ううちのカミサンの言葉を借りれば、「遠い地の可哀想な漁師さんたちのお話」で終わらせないためには、殺した側はすぐ側の霞ヶ関にいて、今も殺し続けている(つまり年間3万人の自殺者を生んでいる)ことを描かなければいけないと、個人的には思うのだが。)


そういう訳で翌日の、初めての「通し稽古」は、「台本を今後改訂する」という但し書き付きのものになった。

しかしそれ以外の演出は、全て大阪でやった時と同じだったような気がする。

どちらにしても、まだこの作品が見えてこない。

出演者たちは、通してみたらとにかくダンスに次ぐダンスで体力の限界に挑戦、最後はヘロヘロでテーマどころじゃない感じでもある。


ところでこの文章は、もともと憲法ミュージカルのブログに載せるべく書いていたものだ。公的機関の後援を受けているのにあまり「反政府」的なことを書いてはまずいだろうと、今までは遠慮していたが、結局それがお役所の下に自分を置く奴隷根性であるような気がして、しかし主催者に迷惑を掛ける訳にもいかないのでこちらに書くことにした。

これを機にまた自分のブログを再開していければとも思う。
憲法という無敵な武器をさび付かせているのが私たち。まさに安楽死の危険。

ムツゴロウ・ラプソディはどうしても環境問題だけがテーマとして見えてくる。公共の福祉、国家プロジェクトの公共事業と個人の幸福追求権、国民主権を果たして伝えきれるのかな・・・確かにおつれあい様の言うように有明から普遍的なテーマを引っ張り出さないと「遠い地のかわいそうな漁師さんと生き物たちの話」で終わってしまうかも。


ONOさんのブログに迷い込んでおります。
おっ、よくぞここを見つけて下さいました。

あまり多くのテーマは伝えきれないのかもしれませんが、何か一つだけは、はっきりとしたメッセージを伝えたいものだと思います。
それが「地球はヒトのものじゃない」というエコロジーなのか、「あの日の風景を取り戻そう」というノスタルジーなのか、あるいはもっと別の何かなのか。

生き物の死や漁民の苦しみに充分に憤り、そのあと・・・そこから本当のテーマが示され、怒りや悲しみが昇華されて「再生」というメッセージで終わりたい。
「あの日」というのが単にノスタルジックな風景ではない、僕たちがこれから作っていくこの国の姿、はっきりとした「未来」でなければならない。

しかし脚本に全てを求めるのは酷でしょうから、僕ら一人ひとりの舞台に立つその「姿」で伝えていかないといけない。
そのためには僕ら自身が、しっかりした意志を持ってそこに立っていなければね。
私も迷い込みました。おじゃましますっ。(リンクに気がつかなかった~)

友人に「何でムツゴロウと憲法なの?」と聞かれて答えられませんでした。「海を取り戻そうってことなんだよ」としか返せなかった私…。

「主権者」と「奴隷」
2500億もの税金投入

なるほど、そうですね。ムツゴロウもかわいそうだけど実はキャストも観客も、国民、主権者が騙されている。この諫干問題を見る時、今現在の自分自身の問題としての自覚というのも必要ですね。それも含めて「よみがえれ有明海!」と叫びたい。
正直言うと「主権者」という自覚は全くなかった。勉強になりましたm(_)mありがとうございますっ。堤未果さんの本も読んでみます。

いや、その前に振りを覚えなくては…汗。鏡を使った練習というのをこないだ聞いて、私もマネして姿見購入しようと思っています!こちらも参考になりました◎

☆「ムツゴロウと憲法」プレ企画のテーマとしてはいいかもです。有明海裁判について弁護士さん座談会など?(とか勝手なこと言ったらまた怒られるかな…)国を訴えるということはどういうことなのかとか。
姿見の中で踊ったら、踊りが小さくなってしまうような…。せめて窓ガラスに映すとか。
ダンスの発表会ではないので枠の中できれいに踊るより、形にとらわれず大きく踊ってもらった方が客席に伝わると思いますよ。僕なんかも皆さん方のメチャクチャな(失礼)踊りからも学ぶところ大です。
自分がその曲のオーケストラの指揮者になったつもりで、全身で音楽を表現するつもりで。(これは僕にとっても課題です。もっともっと音をよく聴いて踊らないとね。)

「何でムツゴロウと憲法なの?」と聞かれたら、「見れば分かるから、見に来て!」と言うしかないですね(苦笑)
分からなかったらチケット代返します、というくらいの責任感を、持ちたいものですが。

プレ企画のテーマに「ムツゴロウと憲法」、グッドアイディアかも。戦っている当事者の話は何より説得力がありますよね。
しかし「寅さんと憲法」じゃないけど何でも憲法とこじつけてしまうことはかえって演る側も観る側も不自由になったり、思考停止を招きますから、僕自身はもうあまり憲法そのものに拘るのはよそうかとも思ってます。
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