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『歌わせたい男たち』リーディング

永井愛リーディング
『歌わせたい男たち』

永井愛が演出と演技指導を行う市民の出演者によるリーディング。
54名の応募の中からオーディションで選ばれた一般参加者が、5回の稽古を経て行う公演です。

日時:2011年5月29日(日)14時00分開演(13時40分開場)
会場:富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ マルチホール
     ※入場無料・全席自由

◎作・演出 永井愛
劇作家・演出家。二兎社主宰。
桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒。身辺や意識下に潜む問題をすくい上げ、現実の生活に直結した、ライブ感覚あふれる劇作を続けている。
演出面でも、リアルな装置を舞台一杯に飾った写実的なものから、前衛的な抽象舞台を使ったものまで、趣向を様々に変え、常に演劇的冒険を心がけている。
日本の演劇界を代表する劇作家の一人として海外でも注目を集め、『時の物置』、『萩家の三姉妹』、『片づけたい女たち』、『こんにちは、母さん』など多くの作品が、翻訳・リーディング上演されている。
2011年4月より、キラリふじみアソシエイトアーティスト。
最近の作品:『片づけたい女たち』『ゴロヴリョフ家の人々』『パートタイマー・秋子』『こんにちは、母さん』『萩家の三姉妹』『新・明暗』『歌わせたい男たち』『やわらかい服を着て』『書く女』『かたりの椅子』『シングルマザーズ』
紀伊國屋演劇賞個人賞・鶴屋南北戯曲賞・岸田國士戯曲賞・読売文学賞・朝日舞台芸術賞秋元松代賞などを受賞。

◎戯曲『歌わせたい男たち』
 2005年に二兎社によって初演され、 「朝日舞台芸術賞 グランプリ」「第13回読売演劇大賞 最優秀作品賞」を受賞。
 「国歌斉唱」をめぐって揺れ動く教師たちの内心に迫ったこの作品は、2008年には当館でも上演され多くの観客を魅了しました。

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ
〒354-0021 埼玉県富士見市大字鶴馬1803-1
TEL:049-268-7788 FAX:049-268-7780
URL:http://www.city.fujimi.saitama.jp/30shisetsu/99kirari

チラシ表
『歌わせたい』チラシ表

チラシ裏
チラシ裏





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「連帯」その後

気が付けば、千秋楽から半月が過ぎた。
全てが終わりポッカリと穴があくかと思いきや、仕事や家庭であいてしまった穴を埋めることに追われ余韻に浸る間もなく忙しい日々を過ごしている。
何か「まとめ」らしきことを書かなきゃなと思いつつ、正直何もまとまっているわけではない。

図書館から借りて来たがあまり読む時間の無いうちに返却期限がとっくに過ぎてしまった、フィリピンや「慰安婦」に関する山ほどの本も、先日やっと返却して来た。また時間を見つけて少しづつ読んでいこう。「日本軍はなぜ民間人を殺したのか」という興味深い研究書もあった。何でも「戦争の狂気」とか「極限状態」の一言で片付けてしまっては、歴史から何も学んでいないことになる。


遅ればせながら一応報告しておくと、立川での2回の公演も、お陰様でほぼ満席だった。千秋楽は直前に札止め(売切れ)になった。
三多摩地域の5回の公演で、5000人を超えるお客様に観て頂いた。

出来はどうだったのか?
お客さんには、何が、どう伝わったのか?
正直自分ではよく分からない。
毎回公演終了後出口のところで、観に来てくれた友人たちと言葉を交わす。一緒に社会人ミュージカルをやっていた仲間がほとんどだが、みんな大体1時間以上は電車に乗って遠くから来てくれた。そんなにメチャクチャ感動している風ではなかったが、おおむね満足してくれたように見えた。
一番多かった感想は「100人のパワーっていうのは、すごいね~」というもの。
内容については、あまり明確な「言葉」としては感想が聞かれなかった。
なんとなく「重かった」という印象が残っているようにも感じた。その「重たさ」の正体について、自分で考えて言語化してくれないと、結局ただ「重い」というイメージだけが残ってしまうのではないかと、心配だ。(実はかく言う僕自身も、埼玉の憲法ミュージカルから足が遠のいてしまったのは、やはりその「重苦しさ」にあった。帰りの電車の中で話が盛り上がらないのだ。遠いところからわざわざ、来年も観に行こうという気にならなかったのだ。)
今回観に来てくれた友人たちは、帰りの電車の中でどんなことを話し合ったのだろうか?次に会う時には、どんな言葉を聞けるだろうか?

全部で5回の公演、演る側としては毎回ただ全力で同じことをやっていたつもりだ。というかそんなに工夫して手を変え品を変える余裕も無かったし。
最高の緊張と興奮で駆け抜けた日野。
2週間間が空いてしまったパルテノン多摩。広すぎるホールの残響もあるのか、力の入り過ぎか、「歌詞が聞き取れない」という感想がすごく多かった。
続く福生では、カントクをして「圧巻だった」と言わしめた。サックスのコウスケ君曰く、主演のありまさんの気迫が凄く、自分もそれに引っ張られて初めて納得いく演奏が出来たとのこと。
最後の立川、ここから新たに道化役のダンサーが加わり、色々と波紋を呼んだが、お客さんの反応は一番良かったように思う。

全体を通してお客様からのアンケートで特に多かったのは60代以上の方からの「このようなとりくみが行われることは素晴らしい」といった、「意義」面からの賛辞だ。
又は若い子からは「こんなことがあったなんて知らなかった」というものもあった。
僕と同年代の30~40代の、90年代からの日本の「戦争責任」問題を横目で見てきた世代は、このミュージカルを観てどう思っただろうか?こういう「事実」があったことは認めるだろう。しかし日本政府の公式謝罪と国家賠償については、どう考えるだろうか。
そしてまた、この作品のミュージカルとしての芸術性や娯楽性についてはどうだったのかが、僕としては気になるところだ。もとより一般のエンターテイメント作品と横並びに比較するのは無理があるが、「これは特別のメッセージを持った特殊な作品なのだ」と開き直って良しとしたくはない。しかしそういう観点から書いてくれているアンケートはほとんど無かったので、この舞台がプロパガンダではなく、エンターテイメントとして成立していたかどうか、僕は未だによく分からない。


さて、公演期間中に出演者たちからアンケートを取り打ち上げで発表された「作品中で一番好きなセリフ」の第1位は、果たして「ソリダリティ(連帯)!」だった。結局みんながここに最も求めていたものはやはり「連帯」だったのだろう。人と人のつながりが希薄なこの時代で、実はみんな人とつながり合いたいと強く求めている。
確かに千秋楽での「ソリダリ」、僕は最後列で旗を振り、左右には黄色いTシャツを着たスタッフさんたちや事務局メンバー総出演で、最高潮の盛り上がりだった。「共に舞台を作る」という意味においての、100人を超える人々の連帯が、そこにはあったような気がする。
しかしそれはあくまで舞台上での儚い連帯だ。舞台から降りて、例えば「日本政府に公式謝罪と賠償を求めていく」ことについて、誰が連帯しているだろうか?稽古場の外では、誰も語らない。
広範な市民参加によって作るミュージカルだから、政治的立場を問わないことは大前提なわけで、「政治や宗教の話はしない」というのが暗黙の了解だ。それを持ち出すのは野暮なのだろう。「一粒の種を心の中に蒔く」といった何の実体もない言葉でぼんやりした夢を共有しあうことが「連帯」なのだろうか。

性急に答えを求めようとするのは間違いかも知れない。しかしこの「イアンフ」の問題についてはもう残された時間が無い。田中監督が折角開けた「パンドラの箱」も、放っておけば静かに蓋が閉じられるだろう。いやもうすでに閉じられつつある。それを横目で見ているだけでいいのだろうか。それでは一体、何のためにこの「ロラマシン物語」をやったのだろうか。
過ぎてゆく時間。流されてゆく毎日。遷り変わる時代。流れに逆らって生きようとする孤独な決意を持つ者と、「連帯」したいと思う今日この頃。

連帯

17日のパルテノン多摩、18日の福生市民会館、どちらもほぼ満席。
足を運んでくださった皆さんに、感謝、感謝。


どの公演でも、幕が開くと、客席の一番後ろまでお客さんが一杯だ。これがもう当たり前の光景のように錯覚してしまいがちだ。

しかし1週間前までは、多摩も福生も5~6割しかチケットが売れてなかった。
地域担当の実行委員や出演者も、悲愴な表情をしていた。これまで出来る限りの宣伝はしてきた。あと1週間で一体何が出来るのか…。

しかしそこからが、凄かった。
連日の、駅前宣伝。出演者も一緒にチラシを配った。
僕自身は家や職場が遠いため地域での宣伝行動には参加出来ず、詳しくは知らないが、それはもう1つのドラマだったに違いない。

そうして当日、いっぱいのお客様が観客席を埋めつくした。
その本当の喜びは、声を嗄らしてチラシを配った本人たちにしか分からない。僕らはせいぜいもらい泣きをさせてもらえるだけだ。
僕らに出来ることは、死にもの狂いでチケットを売ってくれた人たち、そして訳も分からず買ってくれた人たちの期待に報いるだけの舞台を見せることだろう。


公演当日は、スタッフさんたちが朝から舞台を仕込み、出演者は開演4時間前に小屋入りする。
開場までの3時間でウォームアップからマイクチェック、場当たりをこなし、開場後の1時間は楽屋でメイクや衣装などの準備。
そうしてもうすぐに幕が開いてしまう。幕が開いたあとは休憩無しの1時間50分、カーテンコールまで駆け抜けるだけだ。
気がつけば2日間、2公演が終わっていた。

一つの公演の度に「ゼロから新しく作る」と気負ってみても、実際には稽古してきたことしか、出来ないものだ。本番でいきなりこれまでの積み重ねを壊せる勇気のある人はいないし、周囲だって対応できない。そう考えるとやはりこれまで5ヶ月の稽古の過程の中に全てがあり、自分たちの何十年かの人生の中に全てがあるのだろう。それを踏まえた上で、舞台に踏み出していくしかない。

しかしそれでも、もっともっと稽古をしたかった。人々の感情が有機的・連鎖的に反応・呼応していきドラマを盛り上げるような芝居作りを、共演者たちともっと稽古したかった。今はお互いの感情を邪魔しないように、各々の狭い領域の中で自己完結出来る芝居をしている部分が大きい。もっと関わり合うことが出来れば、そこから本当の「連帯」が生まれるはずだ。

今週末の立川で、東京公演は終わる。
僕の最後の課題は「連帯」に尽きる。自分自身の演技のことはもうあまり気にしていない。
人と人が信じあい、手をつなぎあうこと。その力が未来を切り拓いていく。
100人の力で、それを示したい。

観客のカタルシスは

初日の舞台がはねて、僕らは兎にも角にもこの長い道程の果てに一つのことを成し遂げたという喜びを味わった。
しかしお客さんの側は、僕らのようなカタルシスは味わっていないようにも思える。
僕らが初めて通し稽古で主役の演技を見た時の衝撃、重苦しさ、それが何倍にもグレードアップしたものを観客は見せつけられたのだから。

僕がこれまで参加した舞台の中で最もハードな内容と表現を持つこのお話、観に来てくれた友人たちの反応もやはり重かった。
山田洋次さんは「トマサさんを気の毒な犠牲者として考えるのは間違いで、ジャンヌ・ダルクのような英雄なのだ」と述べられ、田中カントクはトマサさんの生き方を通じて「人間の尊厳」なるものを伝えようと試みたのだが、それは男性の側からのロマンティックな願望ではないだろうか。
女性にとってはあまりに重く痛い物語。男性は「これは目を背けてはいけない真実だ」と観念の中で処理出来るが、女性は自らの体の内側でこの痛みを受け取ってしまう。

僕としてはこの重く悲しい物語の末に、僕ら自身がトマサさんから受け取ったもの、未来を切り拓いて生きる者としての意志をしっかりと示すことによって、この物語を悲劇の女性の物語としてではなく未来への希望を示す「我々」の物語に昇華させたいと思っていた(去年僕が参加した宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」がそうであったように)。
しかし現実的には、この悲劇の主人公の圧倒的な存在感、圧倒的な演技、圧倒的な痛みと苦しみの前に、我々一般参加者の姿はかすんでしまったのではなかろうか。もはや「市民ミュージカル」という枠組みを超えてしまったのかも知れない。観客の意識はロラマシンにぐいぐいと引きずり込まれ、我々は主体者としての姿をはっきり表現して観客と共鳴し合うことが、十分に出来なかったように思う。あるいはそれは観客の側に迎合しない田中カントクの作家性の強さによるものなのかもしれないが。

「我々」の側の問題としては、やはりまだまだ稽古不足。
演者としてのアクションとリアクションが中途半端なため、その場面の意図や、ロラマシンと向き合う「我々」としての意志の明示が不明瞭なのだ。

本番当日だったか前日だったか舞台での稽古の中で、振付家が「全員で揃って前に1歩出よ」と指示したことに対して、出演者のほうは「カントクからは「揃って一斉に動くな、各々の尊厳にもとづいて動け」と指示されている」と戸惑う場面があった。
カントクとしては「いかにも機械的にみんな揃って動くのは不自然で気持ち悪い」ということだったのだが、バラバラの不明瞭な動きでは当然ながら「我々」としての総体的な意志が見えて来ない。演出家や振付家に指示された動きであってもそれがわざとらしくないように見せること、自分の内面にその動きの動機をきちんと持つこと、またはその場面の情感や音楽の高まりに共鳴して一斉に動くことによって舞台全体の空気を動かすこと、これは役者にとっても演出家にとっても基本的な技術の範疇だ。そういった動き方が本番当日まで作れなかったこと、それはやはり稽古場に演出家や振付家がいなかったことが響いていると思う。

また、「自分らしく」「自分の個性で」という思いが、東京の出演者の場合はともすると個人プレーになりがちで全体の一体感を損ねてしまうようだ。うちのカミサンは「みんな女優、男優が多すぎて、どこを見ていいのか迷ってしまう」と言っていた。東京は舞台経験者も多く、「こう演じよう、こう見せよう」という色気が、観客の感動の目障りになりかねない。カントクが「自分自身であれ」と言っているのは、「演技をしようとするな、市民としてそこに存在せよ」ということではないのか。

僕自身も、初日まではその場の感情に溺れ浸るままに表現しようとしすぎていた。
これからは余分なものはそぎ落として、ただ誠実に、出来る限り無垢に、そこに存在するように心がけたい。我々の「意志」を、太く、深く、真っ直ぐな1本の束として観客に届けられるように。
僕は自分が感動したくて舞台に立っているのではない。観てくれるお客さんの心を動かしたいからやっている。
だからもう僕は、余計な涙は流さないことにした。

初日

初日が終わった。
観客動員は910人。公演としては大成功と言ってよいのだろう。
僕個人としては、まだまだ、不出来だった。

自分にとって最大の難関である「PTSD」についてのセリフ、やはり練習不足、力みすぎだった。
PTSDの発症率についての数字を4つ列挙するのだが、この数字は完全に覚えているにも関わらず、リハーサルでもゲネでも、下1ケタを言い間違えた。しかし本番ではここは間違わずに言えた。それで安心したのがいけなかったのか、あるいはやはりもう舞い上がっていたのか、続く部分で「長期的に続く性暴力」という言葉を飛ばして次の「幼児期からの長期被害」と言ってしまった。いった瞬間に「しまった!」と思い必死にその前の言葉を思い出そうとしたが思い出せずに、仕方なくそのまま次の「発展性ストレス障害を…」につないでしまった。
それに続く「胸に突き刺さったままのナイフ」というくだりも、どのように表現すればいいのかずっと迷ったまま本番になってしまい、未消化のままで、結局力任せ、感情のままのような言い回しになってしまった。これでは駄目だ。演者の過剰な表現は却って観る者の気持ちを引かせてしまう。それは底の浅い、言葉の表層を表しているだけだ。感情を抑制しながら、淡白にならず、単調にならず、深い哀しみが滲み出るようには…。「これだ」と思える語り口を見つけるまで、もっともっと試行錯誤を繰り返さないといけない。今は全然練習不足だ。

そんなことで落ち込みはしたが落ち込んでる間もなく舞台はどんどん進んで行く。衣装替えやマイクの付け替えに追われながら、粛々と舞台は進み、初日の幕は下りた。
カントクは「客席の反応を楽しんで来い」と言っていたが、正直それほどの余裕は無かった。自分の出番が一つ終わるごとに舞台裏で次の場面に向けた準備に頭を切り替えなければならないので、余韻に浸る余裕は無かった。

「Forgive But Not Forget」の後で拍手が来なかったので「あれ~?」と思ったが、後で観た方に聞いたら「あれは拍手をするような曲ではない」と言われた。言われてみればその通り、僕も観客の側なら拍手出来ないかもしれない。我々日本人一人ひとりの、欺瞞的な生き方を問い詰めるような歌なのだ。拍手が来なかったということは、それだけ観客の側がこの歌の内容を受け止めていたということだろう。
それに対して拍手を期待してしまうということは、僕らの「観客を感動させよう」という愚かな下心が、観客の持っている市民感覚とずれてきてしまっているということなのか。あるいは集会やメーデーの舞台で、平和運動の内部にいる人に向かってばかり歌っているうちに感覚が麻痺してしまったのか。「活動家」はこういった直接的なメッセージ色の濃い歌を喜ぶかもしれないが、一般の観客にとっては、手放しで「感動」できる歌ではない。まして「泣かせる」ような歌でもない。僕が集会のときに間奏に入れた語りは、未整理な感情を情緒的になってぶつけただけだ。「胸に突き刺さったナイフ」の未熟な表現と同レベルのものだった。
もっと静かで、太く、深い表現を目指さなければ。

千秋楽の幕が下りるまで、僕らの表現はどこまで進化することが出来るだろうか。


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