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連帯

17日のパルテノン多摩、18日の福生市民会館、どちらもほぼ満席。
足を運んでくださった皆さんに、感謝、感謝。


どの公演でも、幕が開くと、客席の一番後ろまでお客さんが一杯だ。これがもう当たり前の光景のように錯覚してしまいがちだ。

しかし1週間前までは、多摩も福生も5~6割しかチケットが売れてなかった。
地域担当の実行委員や出演者も、悲愴な表情をしていた。これまで出来る限りの宣伝はしてきた。あと1週間で一体何が出来るのか…。

しかしそこからが、凄かった。
連日の、駅前宣伝。出演者も一緒にチラシを配った。
僕自身は家や職場が遠いため地域での宣伝行動には参加出来ず、詳しくは知らないが、それはもう1つのドラマだったに違いない。

そうして当日、いっぱいのお客様が観客席を埋めつくした。
その本当の喜びは、声を嗄らしてチラシを配った本人たちにしか分からない。僕らはせいぜいもらい泣きをさせてもらえるだけだ。
僕らに出来ることは、死にもの狂いでチケットを売ってくれた人たち、そして訳も分からず買ってくれた人たちの期待に報いるだけの舞台を見せることだろう。


公演当日は、スタッフさんたちが朝から舞台を仕込み、出演者は開演4時間前に小屋入りする。
開場までの3時間でウォームアップからマイクチェック、場当たりをこなし、開場後の1時間は楽屋でメイクや衣装などの準備。
そうしてもうすぐに幕が開いてしまう。幕が開いたあとは休憩無しの1時間50分、カーテンコールまで駆け抜けるだけだ。
気がつけば2日間、2公演が終わっていた。

一つの公演の度に「ゼロから新しく作る」と気負ってみても、実際には稽古してきたことしか、出来ないものだ。本番でいきなりこれまでの積み重ねを壊せる勇気のある人はいないし、周囲だって対応できない。そう考えるとやはりこれまで5ヶ月の稽古の過程の中に全てがあり、自分たちの何十年かの人生の中に全てがあるのだろう。それを踏まえた上で、舞台に踏み出していくしかない。

しかしそれでも、もっともっと稽古をしたかった。人々の感情が有機的・連鎖的に反応・呼応していきドラマを盛り上げるような芝居作りを、共演者たちともっと稽古したかった。今はお互いの感情を邪魔しないように、各々の狭い領域の中で自己完結出来る芝居をしている部分が大きい。もっと関わり合うことが出来れば、そこから本当の「連帯」が生まれるはずだ。

今週末の立川で、東京公演は終わる。
僕の最後の課題は「連帯」に尽きる。自分自身の演技のことはもうあまり気にしていない。
人と人が信じあい、手をつなぎあうこと。その力が未来を切り拓いていく。
100人の力で、それを示したい。
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最後の稽古

土曜日の稽古は、主演女優さんの足の怪我の報告から始まった。
5日の東京公演初日のラストでリフトから着地するとき、足の小指を骨折されたとのこと。
最新の超音波治療で治療中だそうだ。11日の大阪公演楽日はテーピングで固めてやるとのことだが、あれだけの激しい動き、踊りをやって、果たして・・・。訓練された身体とプロフェッショナルな精神力を持っておられる方だが、細い体と細い骨は同じ人間だ。東京での残り4回の公演、そして山梨の千秋楽までの長い道のり、トマサさんの魂が守って下さることを祈る。

そして田中カントクからのビデオレター。
「日野の初日で「初日」が出た」(「初日が出る」とは演出家が合格点を与えたという舞台用語)との有難いお言葉。
「そうかなー。僕なんかセリフ間違えたしなー。」と思いつつ聞く。

その後はチケット普及のための全体討論に時間をかけた。しかしこういう話になると発言する人が大体固定されてしまう。チケット売りについても、演技についても、実は僕らの間にはまだまだ大きな「見えない壁」が存在する。社会で暮らす中では誰もが自分の「領域」の周りに壁を作り、お互いにその領域を侵さないことが暗黙のルールになっている。
僕らはこの作品について、他者に向かって自ら語る「言葉」を、未だ見つけ出せていないような気もする。「イアンフ」?「尊厳」?チラシや台本を読んだってそこに「正解」があるわけではない。(「一粒の種」なんていう言葉も、内輪でしか通用しない。人の心に届く言葉を見つけたくて、僕はこういうブログなんていうものを書いているのだろう。自らの閉ざされた内面と、日本中あるいは世界中の人々を繋ぐ媒体を、この電子の網に求めているのか。)
日本国憲法を守るための「運動」も、運動の外にある人々と通じ合える「言葉」を、見つけ出さなければ、運動は広がって行かない。この舞台に参加している若い世代の中からこそ、そういう新しい言葉(それは文字とは限らない)が生まれて来はしないか。そんなことを期待している。

さて。
いつでも同じ規格の演技を再生産出来る技術を持っているのが職業俳優。
いつでもぶっつけ本番、その時その場のテンションが如実に表れてしまうのが我々素人俳優。
先日の公演初日、連休中に積み重ねてきた緊張と興奮は最高潮に達し、良くも悪くも燃え尽くした。
特にこの日が人生初舞台だった人にとっては、一生に一度きりの日。あとから振り返ればこの日を境に人生が変わった、なんてこともあるかも知れない。
そんなわけで、今僕らの体の中には伝えるべき何モノも残っておらず、ただ音楽がかかれば馴らされた動物のように歌い踊ることは出来る、という状態。

そんなこんなで土曜の短い稽古は過ぎ、日曜日、とうとう最後の稽古となってしまった。

今まで振付助手や演出助手の女性たちを背中から支えていたS君(彼は音響係と勘違いされているが、「演出助手」としてクレジットされている)が、満を持して登場。
カントクから「日野の初日で出来上がったものを壊せ」という難題を与えられ、彼が考え出したのはもう一度、台本に戻るということ。
お芝居の稽古の過程では、戯曲というのは読み返す度に何らかの新しい発見があるべきものだ。最近ではとにかく忙しさに追われて、この作品自体と向かい合うことを久しくしていなかった。
今一度、合宿のときのように、トマサさんの姿を目の前に立ち上がらさなければ。その声に耳を澄まさなければ。そしてその後ろにいる多くの人々の未だ癒えぬ苦しみをどうすればいい?
満足感に浸っている場合ではない。疲れて鈍ってきている五感と想像力を、今一度研ぎ澄まさなければ。
そういう意味では一般の市民ミュージカルと違ってこの「憲法ミュージカル」の参加者たちは、たとえ千秋楽が終わっても満足感に浸って喜び合うことが許されないという宿命を、根本的に背負わされている。それもまた人生、いいではないか。

S君の発案で、M1「ハロハロ」の初期バージョン、1月14日の初回稽古の時に聴いたオケをみんなで目をつぶって聴いてみる。すると見事なまでに、初回稽古からこれまでの映像が走馬灯のごとく浮かんでくる。思えばこの「ハロハロ」だけは毎回稽古の度に歌い、街角の宣伝でも踊り続けて来た。「果てしない道のりを渡り尽くした私たち」に感動してみんなウルウル。

その後とうとう最後の通し稽古。みんなの顔から疲れが消え、目が輝きを取り戻す。人間の感情というのは面白いものだ。

通し稽古の後、風邪で見学していた女の子から鋭いダメ出しがビシバシ入る。不明瞭さや迷いを抱えたまま演じていると、見ている側には如実に伝わるのだ。まだまだ、よく分からない所もあれば、改良すべき点もある。ひとつひとつ、これからだ。

初日の強烈な残像が頭に残っていると、それをなぞることで楽な方向へ逃げようとする。それは確実に観客に見透かされる。技術を持たない素人の我々が「過去の反復」をやってしまったら、目も当てられないものになる。
積み重ねてきた全てのことは僕らの体の中に養分として蓄えられている。それを信じて、頭の中は無にして、またゼロから、多摩の初めてのお客さんと、ありまさんのトマサさんと出逢おう。そしてみんなとも。

長い長い稽古は今日で最後だったが、僕らはここからまた新しいスタートを切ったのだ。

0511anbayanco
和光高校で最後の通し稽古

0511kidoai

0511forgive.jpg
Tさんの見守る背中

0511last.jpg
お疲れ様でした!!

観客のカタルシスは

初日の舞台がはねて、僕らは兎にも角にもこの長い道程の果てに一つのことを成し遂げたという喜びを味わった。
しかしお客さんの側は、僕らのようなカタルシスは味わっていないようにも思える。
僕らが初めて通し稽古で主役の演技を見た時の衝撃、重苦しさ、それが何倍にもグレードアップしたものを観客は見せつけられたのだから。

僕がこれまで参加した舞台の中で最もハードな内容と表現を持つこのお話、観に来てくれた友人たちの反応もやはり重かった。
山田洋次さんは「トマサさんを気の毒な犠牲者として考えるのは間違いで、ジャンヌ・ダルクのような英雄なのだ」と述べられ、田中カントクはトマサさんの生き方を通じて「人間の尊厳」なるものを伝えようと試みたのだが、それは男性の側からのロマンティックな願望ではないだろうか。
女性にとってはあまりに重く痛い物語。男性は「これは目を背けてはいけない真実だ」と観念の中で処理出来るが、女性は自らの体の内側でこの痛みを受け取ってしまう。

僕としてはこの重く悲しい物語の末に、僕ら自身がトマサさんから受け取ったもの、未来を切り拓いて生きる者としての意志をしっかりと示すことによって、この物語を悲劇の女性の物語としてではなく未来への希望を示す「我々」の物語に昇華させたいと思っていた(去年僕が参加した宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」がそうであったように)。
しかし現実的には、この悲劇の主人公の圧倒的な存在感、圧倒的な演技、圧倒的な痛みと苦しみの前に、我々一般参加者の姿はかすんでしまったのではなかろうか。もはや「市民ミュージカル」という枠組みを超えてしまったのかも知れない。観客の意識はロラマシンにぐいぐいと引きずり込まれ、我々は主体者としての姿をはっきり表現して観客と共鳴し合うことが、十分に出来なかったように思う。あるいはそれは観客の側に迎合しない田中カントクの作家性の強さによるものなのかもしれないが。

「我々」の側の問題としては、やはりまだまだ稽古不足。
演者としてのアクションとリアクションが中途半端なため、その場面の意図や、ロラマシンと向き合う「我々」としての意志の明示が不明瞭なのだ。

本番当日だったか前日だったか舞台での稽古の中で、振付家が「全員で揃って前に1歩出よ」と指示したことに対して、出演者のほうは「カントクからは「揃って一斉に動くな、各々の尊厳にもとづいて動け」と指示されている」と戸惑う場面があった。
カントクとしては「いかにも機械的にみんな揃って動くのは不自然で気持ち悪い」ということだったのだが、バラバラの不明瞭な動きでは当然ながら「我々」としての総体的な意志が見えて来ない。演出家や振付家に指示された動きであってもそれがわざとらしくないように見せること、自分の内面にその動きの動機をきちんと持つこと、またはその場面の情感や音楽の高まりに共鳴して一斉に動くことによって舞台全体の空気を動かすこと、これは役者にとっても演出家にとっても基本的な技術の範疇だ。そういった動き方が本番当日まで作れなかったこと、それはやはり稽古場に演出家や振付家がいなかったことが響いていると思う。

また、「自分らしく」「自分の個性で」という思いが、東京の出演者の場合はともすると個人プレーになりがちで全体の一体感を損ねてしまうようだ。うちのカミサンは「みんな女優、男優が多すぎて、どこを見ていいのか迷ってしまう」と言っていた。東京は舞台経験者も多く、「こう演じよう、こう見せよう」という色気が、観客の感動の目障りになりかねない。カントクが「自分自身であれ」と言っているのは、「演技をしようとするな、市民としてそこに存在せよ」ということではないのか。

僕自身も、初日まではその場の感情に溺れ浸るままに表現しようとしすぎていた。
これからは余分なものはそぎ落として、ただ誠実に、出来る限り無垢に、そこに存在するように心がけたい。我々の「意志」を、太く、深く、真っ直ぐな1本の束として観客に届けられるように。
僕は自分が感動したくて舞台に立っているのではない。観てくれるお客さんの心を動かしたいからやっている。
だからもう僕は、余計な涙は流さないことにした。

初日

初日が終わった。
観客動員は910人。公演としては大成功と言ってよいのだろう。
僕個人としては、まだまだ、不出来だった。

自分にとって最大の難関である「PTSD」についてのセリフ、やはり練習不足、力みすぎだった。
PTSDの発症率についての数字を4つ列挙するのだが、この数字は完全に覚えているにも関わらず、リハーサルでもゲネでも、下1ケタを言い間違えた。しかし本番ではここは間違わずに言えた。それで安心したのがいけなかったのか、あるいはやはりもう舞い上がっていたのか、続く部分で「長期的に続く性暴力」という言葉を飛ばして次の「幼児期からの長期被害」と言ってしまった。いった瞬間に「しまった!」と思い必死にその前の言葉を思い出そうとしたが思い出せずに、仕方なくそのまま次の「発展性ストレス障害を…」につないでしまった。
それに続く「胸に突き刺さったままのナイフ」というくだりも、どのように表現すればいいのかずっと迷ったまま本番になってしまい、未消化のままで、結局力任せ、感情のままのような言い回しになってしまった。これでは駄目だ。演者の過剰な表現は却って観る者の気持ちを引かせてしまう。それは底の浅い、言葉の表層を表しているだけだ。感情を抑制しながら、淡白にならず、単調にならず、深い哀しみが滲み出るようには…。「これだ」と思える語り口を見つけるまで、もっともっと試行錯誤を繰り返さないといけない。今は全然練習不足だ。

そんなことで落ち込みはしたが落ち込んでる間もなく舞台はどんどん進んで行く。衣装替えやマイクの付け替えに追われながら、粛々と舞台は進み、初日の幕は下りた。
カントクは「客席の反応を楽しんで来い」と言っていたが、正直それほどの余裕は無かった。自分の出番が一つ終わるごとに舞台裏で次の場面に向けた準備に頭を切り替えなければならないので、余韻に浸る余裕は無かった。

「Forgive But Not Forget」の後で拍手が来なかったので「あれ~?」と思ったが、後で観た方に聞いたら「あれは拍手をするような曲ではない」と言われた。言われてみればその通り、僕も観客の側なら拍手出来ないかもしれない。我々日本人一人ひとりの、欺瞞的な生き方を問い詰めるような歌なのだ。拍手が来なかったということは、それだけ観客の側がこの歌の内容を受け止めていたということだろう。
それに対して拍手を期待してしまうということは、僕らの「観客を感動させよう」という愚かな下心が、観客の持っている市民感覚とずれてきてしまっているということなのか。あるいは集会やメーデーの舞台で、平和運動の内部にいる人に向かってばかり歌っているうちに感覚が麻痺してしまったのか。「活動家」はこういった直接的なメッセージ色の濃い歌を喜ぶかもしれないが、一般の観客にとっては、手放しで「感動」できる歌ではない。まして「泣かせる」ような歌でもない。僕が集会のときに間奏に入れた語りは、未整理な感情を情緒的になってぶつけただけだ。「胸に突き刺さったナイフ」の未熟な表現と同レベルのものだった。
もっと静かで、太く、深い表現を目指さなければ。

千秋楽の幕が下りるまで、僕らの表現はどこまで進化することが出来るだろうか。


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