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初日

初日が終わった。
観客動員は910人。公演としては大成功と言ってよいのだろう。
僕個人としては、まだまだ、不出来だった。

自分にとって最大の難関である「PTSD」についてのセリフ、やはり練習不足、力みすぎだった。
PTSDの発症率についての数字を4つ列挙するのだが、この数字は完全に覚えているにも関わらず、リハーサルでもゲネでも、下1ケタを言い間違えた。しかし本番ではここは間違わずに言えた。それで安心したのがいけなかったのか、あるいはやはりもう舞い上がっていたのか、続く部分で「長期的に続く性暴力」という言葉を飛ばして次の「幼児期からの長期被害」と言ってしまった。いった瞬間に「しまった!」と思い必死にその前の言葉を思い出そうとしたが思い出せずに、仕方なくそのまま次の「発展性ストレス障害を…」につないでしまった。
それに続く「胸に突き刺さったままのナイフ」というくだりも、どのように表現すればいいのかずっと迷ったまま本番になってしまい、未消化のままで、結局力任せ、感情のままのような言い回しになってしまった。これでは駄目だ。演者の過剰な表現は却って観る者の気持ちを引かせてしまう。それは底の浅い、言葉の表層を表しているだけだ。感情を抑制しながら、淡白にならず、単調にならず、深い哀しみが滲み出るようには…。「これだ」と思える語り口を見つけるまで、もっともっと試行錯誤を繰り返さないといけない。今は全然練習不足だ。

そんなことで落ち込みはしたが落ち込んでる間もなく舞台はどんどん進んで行く。衣装替えやマイクの付け替えに追われながら、粛々と舞台は進み、初日の幕は下りた。
カントクは「客席の反応を楽しんで来い」と言っていたが、正直それほどの余裕は無かった。自分の出番が一つ終わるごとに舞台裏で次の場面に向けた準備に頭を切り替えなければならないので、余韻に浸る余裕は無かった。

「Forgive But Not Forget」の後で拍手が来なかったので「あれ~?」と思ったが、後で観た方に聞いたら「あれは拍手をするような曲ではない」と言われた。言われてみればその通り、僕も観客の側なら拍手出来ないかもしれない。我々日本人一人ひとりの、欺瞞的な生き方を問い詰めるような歌なのだ。拍手が来なかったということは、それだけ観客の側がこの歌の内容を受け止めていたということだろう。
それに対して拍手を期待してしまうということは、僕らの「観客を感動させよう」という愚かな下心が、観客の持っている市民感覚とずれてきてしまっているということなのか。あるいは集会やメーデーの舞台で、平和運動の内部にいる人に向かってばかり歌っているうちに感覚が麻痺してしまったのか。「活動家」はこういった直接的なメッセージ色の濃い歌を喜ぶかもしれないが、一般の観客にとっては、手放しで「感動」できる歌ではない。まして「泣かせる」ような歌でもない。僕が集会のときに間奏に入れた語りは、未整理な感情を情緒的になってぶつけただけだ。「胸に突き刺さったナイフ」の未熟な表現と同レベルのものだった。
もっと静かで、太く、深い表現を目指さなければ。

千秋楽の幕が下りるまで、僕らの表現はどこまで進化することが出来るだろうか。


下記サイトで舞台写真が見られます。
舞台写真家新さんのサイト
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