2017 . 08 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 » 2017 . 10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

最後の稽古

土曜日の稽古は、主演女優さんの足の怪我の報告から始まった。
5日の東京公演初日のラストでリフトから着地するとき、足の小指を骨折されたとのこと。
最新の超音波治療で治療中だそうだ。11日の大阪公演楽日はテーピングで固めてやるとのことだが、あれだけの激しい動き、踊りをやって、果たして・・・。訓練された身体とプロフェッショナルな精神力を持っておられる方だが、細い体と細い骨は同じ人間だ。東京での残り4回の公演、そして山梨の千秋楽までの長い道のり、トマサさんの魂が守って下さることを祈る。

そして田中カントクからのビデオレター。
「日野の初日で「初日」が出た」(「初日が出る」とは演出家が合格点を与えたという舞台用語)との有難いお言葉。
「そうかなー。僕なんかセリフ間違えたしなー。」と思いつつ聞く。

その後はチケット普及のための全体討論に時間をかけた。しかしこういう話になると発言する人が大体固定されてしまう。チケット売りについても、演技についても、実は僕らの間にはまだまだ大きな「見えない壁」が存在する。社会で暮らす中では誰もが自分の「領域」の周りに壁を作り、お互いにその領域を侵さないことが暗黙のルールになっている。
僕らはこの作品について、他者に向かって自ら語る「言葉」を、未だ見つけ出せていないような気もする。「イアンフ」?「尊厳」?チラシや台本を読んだってそこに「正解」があるわけではない。(「一粒の種」なんていう言葉も、内輪でしか通用しない。人の心に届く言葉を見つけたくて、僕はこういうブログなんていうものを書いているのだろう。自らの閉ざされた内面と、日本中あるいは世界中の人々を繋ぐ媒体を、この電子の網に求めているのか。)
日本国憲法を守るための「運動」も、運動の外にある人々と通じ合える「言葉」を、見つけ出さなければ、運動は広がって行かない。この舞台に参加している若い世代の中からこそ、そういう新しい言葉(それは文字とは限らない)が生まれて来はしないか。そんなことを期待している。

さて。
いつでも同じ規格の演技を再生産出来る技術を持っているのが職業俳優。
いつでもぶっつけ本番、その時その場のテンションが如実に表れてしまうのが我々素人俳優。
先日の公演初日、連休中に積み重ねてきた緊張と興奮は最高潮に達し、良くも悪くも燃え尽くした。
特にこの日が人生初舞台だった人にとっては、一生に一度きりの日。あとから振り返ればこの日を境に人生が変わった、なんてこともあるかも知れない。
そんなわけで、今僕らの体の中には伝えるべき何モノも残っておらず、ただ音楽がかかれば馴らされた動物のように歌い踊ることは出来る、という状態。

そんなこんなで土曜の短い稽古は過ぎ、日曜日、とうとう最後の稽古となってしまった。

今まで振付助手や演出助手の女性たちを背中から支えていたS君(彼は音響係と勘違いされているが、「演出助手」としてクレジットされている)が、満を持して登場。
カントクから「日野の初日で出来上がったものを壊せ」という難題を与えられ、彼が考え出したのはもう一度、台本に戻るということ。
お芝居の稽古の過程では、戯曲というのは読み返す度に何らかの新しい発見があるべきものだ。最近ではとにかく忙しさに追われて、この作品自体と向かい合うことを久しくしていなかった。
今一度、合宿のときのように、トマサさんの姿を目の前に立ち上がらさなければ。その声に耳を澄まさなければ。そしてその後ろにいる多くの人々の未だ癒えぬ苦しみをどうすればいい?
満足感に浸っている場合ではない。疲れて鈍ってきている五感と想像力を、今一度研ぎ澄まさなければ。
そういう意味では一般の市民ミュージカルと違ってこの「憲法ミュージカル」の参加者たちは、たとえ千秋楽が終わっても満足感に浸って喜び合うことが許されないという宿命を、根本的に背負わされている。それもまた人生、いいではないか。

S君の発案で、M1「ハロハロ」の初期バージョン、1月14日の初回稽古の時に聴いたオケをみんなで目をつぶって聴いてみる。すると見事なまでに、初回稽古からこれまでの映像が走馬灯のごとく浮かんでくる。思えばこの「ハロハロ」だけは毎回稽古の度に歌い、街角の宣伝でも踊り続けて来た。「果てしない道のりを渡り尽くした私たち」に感動してみんなウルウル。

その後とうとう最後の通し稽古。みんなの顔から疲れが消え、目が輝きを取り戻す。人間の感情というのは面白いものだ。

通し稽古の後、風邪で見学していた女の子から鋭いダメ出しがビシバシ入る。不明瞭さや迷いを抱えたまま演じていると、見ている側には如実に伝わるのだ。まだまだ、よく分からない所もあれば、改良すべき点もある。ひとつひとつ、これからだ。

初日の強烈な残像が頭に残っていると、それをなぞることで楽な方向へ逃げようとする。それは確実に観客に見透かされる。技術を持たない素人の我々が「過去の反復」をやってしまったら、目も当てられないものになる。
積み重ねてきた全てのことは僕らの体の中に養分として蓄えられている。それを信じて、頭の中は無にして、またゼロから、多摩の初めてのお客さんと、ありまさんのトマサさんと出逢おう。そしてみんなとも。

長い長い稽古は今日で最後だったが、僕らはここからまた新しいスタートを切ったのだ。

0511anbayanco
和光高校で最後の通し稽古

0511kidoai

0511forgive.jpg
Tさんの見守る背中

0511last.jpg
お疲れ様でした!!
全くsさんのマジックには、やられました・・・
私は・・・その必要性を感じていたのと、監督の言う「2回目」を、どうしても覆したい!「人生初の2回目」を味わわせたい!そう思って、ホントに作品に、この数日向き合っています・・

 実にタイミング良く、ある出来事があり、一日泣き暮らしました・・・お陰でここに辿り着くことも出来、友人の有難さも痛感し、今回の曲目の歌詞を、心底、魂の叫びとして歌える・・・そんな思いをしました、本当に苦しかった・・・

 ゲネのDVDを、通しで見返し、場面ごとに止めて場当たりで見直し、皆を感じました

 それぞれの魅力や、緊張、努力、想い・・・見えました!
私と関わりのある芝居をする人が、どうやら意外に気が小さい事も見えたり・・・
 お客様が気持ちよくいられるように・・と思っていますが、共演者も気持ちよく(有難い事に、有馬さんは、すごくやりやすいと、おっしゃって下さいますが)芝居が出来るように、ちょっとの思いやりをしたいと思っています

 多分、そういう気持ちのよさは「間」を共有する為の準備の合図のようなもので・・・
 どうやら「音の無い間」が耐えられない共演者の為に、音は出ているけど、「間」として存在する・・・
 そういう芝居がやっと出来上がりました
明日、やってみます
 今まで、何回やっても、間に耐えられない人が打ち破ってしまっていた・・・
 その人を責められない・・・
共演者も気持ちよく・・・♪心理学、社会学の集大成ですね~!舞台って!!実に面白い!!

 小野田さんの、繊細な言葉の使い方・・・
このブログに来て、本当に良かった!

 私は、一行の言葉で本を買っちゃう位「言葉」が栄養になるんです~♪
 来るべくしてきた・・!全てに感謝!!
「このブログは、言葉の宝石箱や~~!」・・・と彦摩呂風に宣伝したいですね~~♪
ゆこりん、ちょっと持ち上げすぎじゃないですか~?
僕はいいトシこいたロケンローラーを気取って、あえてここでは結構過激な言葉を吐いてるつもりなんですケド。
僕の書いた言葉を不快に思う人がいようと全然構わないのですが、一番怖いのは僕の言葉で誰かを傷つけはしないかということ。気ままな日記のつもりで書いていても、ネット上では言葉だけが一人歩きして、時には人を殺してさえしまうから。

ところで、明日(ていうかもう今日ですが)の稽古、僕はど~~しても行けないのです。すごく残念ですが。
何が起こったか、あとでゆっくり聞かせて下さいまし。
 あらあら残念~;
ハイ!逐一、報告しますよ♪

 過激であっても、心に嘘が無い限り「人を納得させる力」がありますよ!
 それに・・そういう「怖れ」を抱いてのブログなら、むしろ人を救う事の方が多いでしょう・・・☆

 それにしても・・・
 Ⅰちゃんにしろ、Oさんにしろ、長いセリフです
よく覚えられるなあ・・と感心します
 Oさんが「言い間違えた」と反省する所を読んだ時に、え?そうなの?気が付かなかった!(流れが止まってなかったんですね、きっと!)

 昨日、ゲネの映像を、何回も見ていて、体感した事があります
 Oさんのセリフや、Ⅰちゃんのセリフが始まった時に、観客は『身体をゼロにする事が出来る』と!

 息を呑むシーンの後(悲惨でも楽しくても)「ふう~」って!

 観客には、話のテーマが判ればいい!
あとは観客が、その誘い水で考える!
 だから、完璧じゃなくてもいい!ってことですよ!

 やっぱり、舞台は「お客様に優しく」・・・ですね♪
だって、お金払って、時間頂いて、泣かしたり怖がらせたり反省させたりするんですもん・・!
 せめて、笑ったり、楽しんだり・・・そして感動して頂いたり、身体に無理なく(なんか、わかんないけど気持ちがいい)そういう状態で送り出してあげられるといいなあ~♪
・・・なんてね!
忘れない内に・・・報告~♪
今日は、通しました!3人の先生方が、今現在の様子を、観たかったみたいです

 参加者は70人だったかな?
何しろ会場も狭く、音も響くので、上手く聞こえましたね~
 ノブルさんのコメントは「見事過ぎる」
matunobnu先生は「悲しい歌は美しく、強い歌は哀しく」
 石橋先生は「尊厳の歩くの、ゆっくりすぎ」

 ノブルさんは、皆が同じすぎる・・と!
パルタマは大きいので、怖気づくことなく、思い切り「個性を持って」(灰汁があるくらいがいいのかなあ・・と)

 上手くまとまり過ぎて、旨味がないのでしょう
「えぐみ」「渋み」「苦味」あたりが加わるといいのかなあ

 あ!そうそう!なんか、不思議な踊りの男の人(分野としてはコンテンポラリー?)入ってきました
 サックスと対・・?とにかく「スパイス」の役割のようです
 千秋楽に入ってくるみたいですよ♪

 パルタマ・・思い切り「灰汁のある自分」を出すくらいが
丁度いいみたいです!何しろ大きい!らしいですよ~!

 ま、動き回りましょう!舞台を遊びましょう!
あら、ゆこりん、ホントに早速のご報告、感謝カンゲキ!です。

そ~ですか、なるほどね~。
思うにカントクには大阪の印象が強烈だったみたいで、大阪初日のあと「自分の舞台観の変更を迫られている」と仰ってましたよ。
もう技術とか演技とかミザンセーヌとかの次元ではなくて、ただそこに立っているだけでも人間の「存在」そのものが強烈に醸し出す、「アク」というのか・・・。
全然みんなカントクの思い通りの「絵」になってくれないのだけど、そんなことはお構いなしで観る人の心を強烈に掴んでしまう。
そりゃ、大阪の「ゴローさん」には、どんな大俳優だってかないませんよ、ねえ?(いや、1人いた!セキ○○さん…)
大阪のHPにのっているお客さんのアンケートも、熱い、熱い。

地域性の違いっていうのも、大きいのカナー。
大阪では、人と人の間の壁って、東京ほど厚くないのだろうと思う。
舞台も客席も、一つになりやすい。
東京ではお客さんだって隣の客席との間に壁を作って観ている。
自分の周りの壁、舞台と客席の間の壁をどうやって破っていくか。
秩序や予定調和を壊すこと。体から滲み出るアクによって、壁を溶かすこと。

いや~、難しい!僕なんか、どーやってもアクなんて出そうもないし。(灰汁の成分って何ですか?お肉の中の「血」が灰汁になるのかな?)
カントクの求めている演技を無意識の内にも優等生的にこなそうとするこれまでの自分を、捨てないとねえ。

あと、自分を守るためのバリヤーを破るということは、自分が直接傷つくということも覚悟しないといけない。
「舞台で恥をかきたくない」とか、「失敗したくない」という防御服を何重にも着込んでしまってるから。

まあでも、みんなで裸になれば、怖くない!・・・でしょうか。
「裸の自分」って、人から見たら醜いものだとみんな思ってるだろうけど、なかなかどうして、みんな美しいですよ、僕なんかよりも。
なんたって、日本政府を相手に闘い続けたトマサさんの遺志と闘志と、慈愛を受け継いでいるんですから。

僕の書く文章は「~でなければならない」とか義務調が多くて、却って自分や他人を縛りつけてしまうことも多いようで。
パル多摩では広い舞台を思い切り楽しんで、大きく伸びやかに、やりたいですね!

僕自身は「スパイス」には成り得そうもないけど、さんたまにはスパイスに成り得る個性的な人も結構いますから、そういう人たちが遠慮せず自信を持って前面に出て来たら、(色々トラブルも起こしそうだけど)もっともっと面白くなるかもしれないですね。

カントクも合宿の時までは「2500円というお金を頂くのだから、相応のものを見せないといけないんだ」なんて言ってましたが、そのような「相応のもの」ではつまらないんですよ、もうここまで出来てくるとね。

ではまた明日、頑張りましょう!
僕は出来れば少し早く行って、劇場の広さを自分のものにするための時間を取ろうと思っています。12時以降はもうドタバタでしょうからね。


チケットもすごい勢いで売れてきています。
皆さん、劇場でお待ちしていますっ!
管理者にだけ表示を許可する

トラックバックURL
http://onodadai.blog18.fc2.com/tb.php/28-2d1a1752

  1. 無料アクセス解析
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。