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「連帯」その後

気が付けば、千秋楽から半月が過ぎた。
全てが終わりポッカリと穴があくかと思いきや、仕事や家庭であいてしまった穴を埋めることに追われ余韻に浸る間もなく忙しい日々を過ごしている。
何か「まとめ」らしきことを書かなきゃなと思いつつ、正直何もまとまっているわけではない。

図書館から借りて来たがあまり読む時間の無いうちに返却期限がとっくに過ぎてしまった、フィリピンや「慰安婦」に関する山ほどの本も、先日やっと返却して来た。また時間を見つけて少しづつ読んでいこう。「日本軍はなぜ民間人を殺したのか」という興味深い研究書もあった。何でも「戦争の狂気」とか「極限状態」の一言で片付けてしまっては、歴史から何も学んでいないことになる。


遅ればせながら一応報告しておくと、立川での2回の公演も、お陰様でほぼ満席だった。千秋楽は直前に札止め(売切れ)になった。
三多摩地域の5回の公演で、5000人を超えるお客様に観て頂いた。

出来はどうだったのか?
お客さんには、何が、どう伝わったのか?
正直自分ではよく分からない。
毎回公演終了後出口のところで、観に来てくれた友人たちと言葉を交わす。一緒に社会人ミュージカルをやっていた仲間がほとんどだが、みんな大体1時間以上は電車に乗って遠くから来てくれた。そんなにメチャクチャ感動している風ではなかったが、おおむね満足してくれたように見えた。
一番多かった感想は「100人のパワーっていうのは、すごいね~」というもの。
内容については、あまり明確な「言葉」としては感想が聞かれなかった。
なんとなく「重かった」という印象が残っているようにも感じた。その「重たさ」の正体について、自分で考えて言語化してくれないと、結局ただ「重い」というイメージだけが残ってしまうのではないかと、心配だ。(実はかく言う僕自身も、埼玉の憲法ミュージカルから足が遠のいてしまったのは、やはりその「重苦しさ」にあった。帰りの電車の中で話が盛り上がらないのだ。遠いところからわざわざ、来年も観に行こうという気にならなかったのだ。)
今回観に来てくれた友人たちは、帰りの電車の中でどんなことを話し合ったのだろうか?次に会う時には、どんな言葉を聞けるだろうか?

全部で5回の公演、演る側としては毎回ただ全力で同じことをやっていたつもりだ。というかそんなに工夫して手を変え品を変える余裕も無かったし。
最高の緊張と興奮で駆け抜けた日野。
2週間間が空いてしまったパルテノン多摩。広すぎるホールの残響もあるのか、力の入り過ぎか、「歌詞が聞き取れない」という感想がすごく多かった。
続く福生では、カントクをして「圧巻だった」と言わしめた。サックスのコウスケ君曰く、主演のありまさんの気迫が凄く、自分もそれに引っ張られて初めて納得いく演奏が出来たとのこと。
最後の立川、ここから新たに道化役のダンサーが加わり、色々と波紋を呼んだが、お客さんの反応は一番良かったように思う。

全体を通してお客様からのアンケートで特に多かったのは60代以上の方からの「このようなとりくみが行われることは素晴らしい」といった、「意義」面からの賛辞だ。
又は若い子からは「こんなことがあったなんて知らなかった」というものもあった。
僕と同年代の30~40代の、90年代からの日本の「戦争責任」問題を横目で見てきた世代は、このミュージカルを観てどう思っただろうか?こういう「事実」があったことは認めるだろう。しかし日本政府の公式謝罪と国家賠償については、どう考えるだろうか。
そしてまた、この作品のミュージカルとしての芸術性や娯楽性についてはどうだったのかが、僕としては気になるところだ。もとより一般のエンターテイメント作品と横並びに比較するのは無理があるが、「これは特別のメッセージを持った特殊な作品なのだ」と開き直って良しとしたくはない。しかしそういう観点から書いてくれているアンケートはほとんど無かったので、この舞台がプロパガンダではなく、エンターテイメントとして成立していたかどうか、僕は未だによく分からない。


さて、公演期間中に出演者たちからアンケートを取り打ち上げで発表された「作品中で一番好きなセリフ」の第1位は、果たして「ソリダリティ(連帯)!」だった。結局みんながここに最も求めていたものはやはり「連帯」だったのだろう。人と人のつながりが希薄なこの時代で、実はみんな人とつながり合いたいと強く求めている。
確かに千秋楽での「ソリダリ」、僕は最後列で旗を振り、左右には黄色いTシャツを着たスタッフさんたちや事務局メンバー総出演で、最高潮の盛り上がりだった。「共に舞台を作る」という意味においての、100人を超える人々の連帯が、そこにはあったような気がする。
しかしそれはあくまで舞台上での儚い連帯だ。舞台から降りて、例えば「日本政府に公式謝罪と賠償を求めていく」ことについて、誰が連帯しているだろうか?稽古場の外では、誰も語らない。
広範な市民参加によって作るミュージカルだから、政治的立場を問わないことは大前提なわけで、「政治や宗教の話はしない」というのが暗黙の了解だ。それを持ち出すのは野暮なのだろう。「一粒の種を心の中に蒔く」といった何の実体もない言葉でぼんやりした夢を共有しあうことが「連帯」なのだろうか。

性急に答えを求めようとするのは間違いかも知れない。しかしこの「イアンフ」の問題についてはもう残された時間が無い。田中監督が折角開けた「パンドラの箱」も、放っておけば静かに蓋が閉じられるだろう。いやもうすでに閉じられつつある。それを横目で見ているだけでいいのだろうか。それでは一体、何のためにこの「ロラマシン物語」をやったのだろうか。
過ぎてゆく時間。流されてゆく毎日。遷り変わる時代。流れに逆らって生きようとする孤独な決意を持つ者と、「連帯」したいと思う今日この頃。
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