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道化の視線

先週の日曜日、山梨でのこの「ロラマシン物語」の最終公演を観に行った。
僕の興味・関心は専ら「この作品がお客さんからはどう見えるのか?」ということだ。だから努めて客観的に見ようとした。隣で東京メンバーのM氏はずっとボロボロ泣いていたが、僕は山梨の出演者に自分たちの姿を重ね合わせたり感動の記憶を呼び起こそうとはあえてしなかった。自分の知り合いが出ていたりするとついつい演技ではなくその人柄や努力を見てしまうのだが、今回は知らない人ばかりだからその点も冷静に見ていられた。自分たちが無我夢中で演ったものを他人がまた同じようにやり、それを客観的に眺めることが出来るという経験は面白いものだった。

カントクが衝撃を受けたという大阪版の舞台は見ていないのだが、この山梨版の舞台は僕らが演ったものとそう違わないように思えた。セリフなどはより分かりやすく丁寧で明晰になっていた。これが一応の「完成版」と言っていいのではないか。

日本軍の戦時中の残虐行為や、元「慰安婦」たちの日本政府に対する訴えは、知らなかったことではない。僕にとっての空白は戦後から80年代くらいまでの、「胸にナイフが突き刺さったまま」生き続けた女性たちの苦しみと、民族の独立を求めたフィリピン民衆の誇りだった。
アキノ革命の5年後にはアジアで唯一自国から米軍基地を撤廃させた(アメリカはそのツケを沖縄へ回すのだが)。アキノ革命ではデモの先頭には必ず修道女や花を持つ女性たちがいたそうだ。それによって兵士たちは自国の民衆に銃を向けることの誤りに気づき、無血革命が成功した。と本には書いてあった。

山梨の舞台で僕が最も心をひかれたのは、障がいを持つ出演者たちをその脇でさりげなくフォローする姿だった。
客席に向かって必死に「自分の想い」を表現しようとする姿より、さりげなく彼女たちを気遣う姿のほうに、ずっと心を動かされた。というよりそれこそが僕の見たいものだったのかと、気付かされた。一人ひとりの強い主張よりも、自分のことより他人を助けようとする、人が人を思う気持ちこそが、見る人を感動させるのか。
翻って見れば僕らは5ヶ月間の稽古を重ねてきたが、お互いを本気で助け合い、支え合うような関係が築けていただろうか。自分の演技を捨てても他人のフォローにまわることが僕に出来るだろうか。むしろ人に構わずに自分の演技を死守しようとするのではなかろうか。死守するほどの大した演技をしているわけでもないのに。


この作品が舞台作品として成立しているのか、特に女性が繰り返し強姦される屈辱が舞台表現になりうるのか、そんな疑問を僕はずっと持っていたので、観客の立場からそのあたりを見究めたいと思って見ていたが、しかしその答えは最初から自分の中では決まっていたのかも知れない。舞台上に「真実」を感じようと、想像力を働かせようと努力はしたが、やはり僕には難しかった。ダンスも歌もコトバも、その激しさ強さゆえに、どこかで違和感を感じてしまう。これらの「行為」については、ただ静かな言葉で表現してくれた方が僕としては想像力を働かせる余地があったかも知れない。「絵」で見せられると、色々余分な疑問符が沸き起こってきてしまう。いや、それは分からないものに対して分かったふりをしていた自分自身に対する違和感や疑問符を、目の前の舞台に投影して見ていただけかも知れないが。

終盤の女性国際戦犯法廷でのトマサさんの証言を、僕は女優さんの声や肉体は捨象して、文字を読むようにして聞いていた。もうこの世にいないトマサさんが遺した言葉を聞きながら、そのことの意味を考えていた。
僕にとっての唯一のリアルは、同じ苦しみを持ちながら生きている人がまだいるということ、つまり「持続する苦しみ」だ。そしてのうのうと貪り生きている自分という欺瞞的存在そのものだ。
しかしそこには深入りせず、舞台は一変して「天上の世界」になる。トマサさんという人が日本政府を相手に孤独な戦いをしているということも知らないまま、何の手も差し伸べずに見殺しにした僕らだが、戦争と日本政府を断罪することによって贖罪を受けようとする。ラストの壮大で聖なる儀礼によって、観客と僕らの内なる罪は清められたのだろうか。
ブルーハーツなら「キリストを殺したものはそんな僕の罪のせいだ」と歌うだろう。
(この「尊厳」の歌のときにカワイ君の道化という異物が闖入することに、東京では相当異論があったそうだ。僕は見えなかったので気にも留めていなかったのだが、それなら全員白塗り公家眉の道化として出ればよかっただろうかと思った。僕らもどこかで自分が愚かで無謀な「道化」の仲間であることを覚悟しなければ、この物語は演じられないと思ったのだ。)


思えば、僕はこれまでずっとこの物語の表現しようの無い悲劇も崇高なテーマらしきものも、自分には到底表現出来ない、こんなことはお芝居には出来ないと悩んでいたのだが、最後の最後にカワイ君の道化が加わってくれたおかげで、自分の中ではひとつのお芝居として、納得することが出来た。
カワイ君とコウスケ君2人の道化と幼い天使が、この物語の「見世物」としての枠組みを与えてくれた。それは神々から見た、人間世界の悲劇喜劇という見世物だ。結局自分もその見世物の中の一人の道化にすぎないと思えば、「平和」とか「正義」とか「尊厳」とかのメッセンジャーとして背伸びしなくてもいい。もともとチャップリンや寅さんのような道化者に僕は憧れているのだ。

これまで僕は必死にトマサさんの思いを掴もうと、その苦しみに身を寄せたいと努力してきた。しかしそれは永遠の片思いで、強く思えば思うほど相手と自分との隔たりばかりが意識され、ありまさんもトマサさんも逆に遠ざかって行った。
道化ダンサーの闖入は、観客の主人公への感情移入を阻害し、目の前で行われていること全体の「意味」を考えさせようとする。ブレヒト演劇でいう「異化効果」の役割を果たす。少なくとも僕にとってはそうだった。トマサさんを神聖化し絶対化しようとしていた僕の思い込みを、道化が滑稽に笑い飛ばしてくれた。道化が徘徊するこの舞台空間の上で、道化の視線が描き出すものは愚かで可笑しく哀しい「人間」の姿だ。主演女優も、僕らも、そしてトマサさんも、この愚かでちっぽけな人間の一人に過ぎない。「尊厳」なんてものがあるとしたら、この愚かさの中にこそそれはあるのではないか。寅さんが「自分の醜さを知った者はもう決して醜くないのだ」と言ったように。
まあ道化に逃げ込むことによって自分の欺瞞性を開き直ろうとしているのかと指摘されたらその通りなのだけど。

そういうことも含めて僕は今回のこの作品は、「正しいものは正しいのだ」といった傲慢な教条的プロパガンダ演劇の枠組みを超えた作品になったのではないか、「憲法ミュージカル」に新しい歴史を開いたのではないかと、そんなことをぼんやりと考えている。
illya です。
こんな時間にお邪魔します!
『疑問符』以降しか読めてませんが(←すみませんねぇ…《汗》)、とりあえず今日はここにコメントしてみます。

特にレスは必要ありません。(←わたしの書き込みにいちいち付き合ってると大変ですから! まず長くなるし《爆》)好き勝手書いてるだけですので、その点はどうぞお気になさらず《笑》


■寅さんが「自分の醜さを知った者はもう決して醜くないのだ」と言ったように。

「寅さん」って、あの「ご存じフーテンの寅」の……ですよね?
もちろんあのシリーズを全部観たわけじゃないですけど、こんなセリフがあったんだぁ……。
あの映画のどんなシチュエーションでこんなセリフが飛び出すのやら……正直ちょっと想像がつきません。そのシーン……1度是非観てみたいです。
illya は割と若そうに見えて、実際にはもういい加減歳いってますので、いろいろな意味で「自分の醜さを知らずにはいられない」状況にありますが、このセリフにある様に自らそれを「知った者はもう決して醜くない」のだとしたら、何だかとても救われる気がします。

これまでも何かのおりに言葉にしていたとは思いますが、前回の『キジムナー』にしても今回の『ロラ』にしても、わたしは特に「社会的あるいは政治的な高い志」を持って参加しているわけではありません。もとをただせばただの「演劇好き」で、さらに言えば「田中・石橋・Matsunobu組のファン」のひとりです《笑》

それに加えて今回の『ロラ』に関しては、(onoさんも1度はご覧になったと思いますが)トマサさんが書かれた2通の手紙に感動したから……。

筆舌に尽くしがたい程心も体も傷つけられ、虐げられてきたのに……。決して誰かを口汚く罵るのではなく、対話の相手がどんなに自分と対極にある人間であろうと、そしてどこの誰であろうと、充分過ぎるくらい相手の立場を思いやり、敬意を払っている……。

             ☆☆これこそ本来人が人として持つべき、『真の知性』だ!☆☆

何よりこの事にこそ、心を動かされたから!
そんな トマサ さん の生涯が舞台化されると言うのなら……

             ☆☆☆同じ女性のひとりとしてその舞台に立ちたい!☆☆☆

政治とか憲法とか難しい話はともかくとしても……。
そしてできる事なら、ワンシーンだけでもいいから、舞台の上を彼女が生前大好きだった花でいっぱいにしてあげたかった!(←こればっかりは演出が決める事ですけど、せめてもの彼女への餞に…)

そんな風に思っていただけに、素敵な作品にしてくれなかったら……

              ★★★許さないぞ!田中暢~~~!!★★★

とか、思ってましたっけ……(←歌も踊りも失敗だらけの自分の事は棚に上げといて!《笑》)

でもあの『ゴールデン・トリオ』は、やっぱりやってくれました!! 
『ロラ』は、観に来て下さったお客様の心に響く、本当に素敵な作品になったと思います。(←そりゃ、観た人が何千人もいりゃぁ、好みが合わないとか、全く理解できないとか……中にはいらっしゃるでしょうけど!)

ちなみに「カワイ氏」参加の件に関しては、キャストのみならずスタッフ陣の中でも、いろいろな受け止め方があった様ですね……。
これはあくまで illya 個人のお話ですが(←この間の「戦争展プレ企画@立川」の席でも発言しましたが)、もう最初の合わせの稽古の時からワクワクしちゃいましたよ!!
だってここまで来るとハッキリ言って、ある種のボーダーラインを突き抜けちゃってるでしょ?

                  『市民ミュージカルでここまでやるか…イヤ出来ちゃうのか…』

みたいな《笑》

でも何よりスゴイと思ったのは、この時期にこの大胆な『最終兵器投入』に挑戦する3人の先生方の、「モノ作り」に対する姿勢でした。だってもう初日が開いちゃってるんですよ?  普通なら守りに入るでしょ?  ほとんどのキャストは素人なんですし……《汗》
でもこの先生方はあえてチャレンジすると決断した……この事そのものに illya は感動してしまいました。

そしてもうひとつ……こんなスゴイ先生方が、他の誰でもない「わたし達」に、『ソレ』をさせようとしている……。

             ☆☆☆『ソレ』は、わたし達に託されている!!☆☆☆

そう……決してカワイ氏だけではないんです。 この先生方は「わたし達」を信頼して下さっている……。

             『この人達となら、きっとやり遂げられる』

と……。 これはあくまで illya 個人のお話ですが、わたしはそんな風に受け止めていました。

だからこそ……あれやらこれやら全部ひっくるめて、とにかく最終的に『ロラ』がとても素敵な作品になった事……その事そのものが何より嬉しいですし、最後までそこに自分がいられた事が、とても幸せだと感じています。(←自分自身が失敗だらけだったとしても!)

次はいつになるのかなぁ……?  いずれにしても待ち切れないので、とにかくまた何か始めよう……。でないと何たって……

                 「生きながらにして死んでしまう!!」

特異体質ですので《爆》

予想していた事とは言え、スンゴイ長くなっちゃった……人様のコメント欄でコレは……さすがの illya も記録更新かも《滝汗》
カワイさんのことは、「いいな」って思ってすぐにブログに書き込みたかった・・・。山梨でも、さんたまでも。最初、立川公演の前に、彼が入ることを聞いたときは、正直「えっ?」て思いました。どうやってやるの?彼だけに目線が集中してしまわないか?とか・・・。でも、立川公演(昼・夜とも)の後のお客様のすがすがしい顔を見て、有馬さんが「大阪公演で彼が入った後のアンケートが違った。」と言って、さんたまのみんなを説得してくれたときのことを思い出しました。パル多摩と山梨の二つの公演を観てくれた高3の娘(中学の時から文化祭のために生きているような子で、創作映画の監督、出し物の振り付け、演出などを夢中でやっています。)は、道化達が果たす役割をしっかりと感じていたようです。ただ、でるところ、でないところを精選した方がよいと言っていましたが・・・・。わたしは、客観的には一度も観ていませんでしたが、同じ舞台に立っていて、立川よりもまた山梨が工夫されていたように思いました。きっとあと1ヶ月あれば、またちがった舞台になったんでしょうね。アドリブでどんどんできてしまう才能や技術もそうですが、なによりも、カワイさんの人に対する優しさ、舞台に対する真剣さ、努力、情熱を感じたこと、いっしょにやらせてもらってよかったと思っています。立川千秋楽の朝、まだあいていないドアの前に立って会場を待っていたのは、関口さんとカワイさんでした。舞台は、表現する、伝えるものだけでなく「かかわりあう」場ということで、今回もとっても多くの物をえたように思います。
oni……イヤイヤ……onoのいぬ間の横レス……なんてね《爆》

yukikoさん、いらっしゃ~~い♪

■創作映画の監督、出し物の振り付け、演出などを夢中でやっています…

カエルの子はカエルだぁ……素敵♪
やっぱDNAは偉大だわ!

■きっとあと1ヶ月あれば、またちがった舞台になった…

わたしもそう思う~~♪
とくに今年の東京メンバーの総合的な潜在能力は、本当に計り知れないものがあったしね!
初日の日野公演が終わった時点で、illya 個人はやっとスタートラインに立った心持ちだったんだけど、まだカワイ氏登場の話なんて知らなかったこの時点で既に……

    「この人達、この先もっともっと進化するぞ~~」

って、思ってましたから《笑》

   『この人達となら、一体どこまで行けるんだろう……♪』

って《笑×2》

yukikoさん、また次もご一緒しましょうね \(*^ 0 ^*)/

P。S。
「記録更新」発言撤回! 
yukikoさんで思い出した……去年の山梨のブログの『あの伝説よ、再び!?』へのコメントの方が、多分文字数多い……。(←多分ね! 数えたわけじゃないけど《爆》)
先日の解散式、みなさんお疲れ様でした。

「onoのいぬ間の横レス」・・・どうぞどうぞ、かえって有難いです。

僕は実はものぐさ人間で自分の関心のあることにしかレスしないタイプの人間ですが、illyaさんがせっかく「寅さん」について訊いてくれたので、少しだけ語らせて下さい。
 このセリフは、89年公開の第40作「男はつらいよ 僕の伯父さん」の中で、大学浪人中で恋に悩む満男(吉岡秀隆)が寅さんに酒を飲まされながら、「人を愛するっていうことは、もっと美しいものだろう?俺のはそんなんじゃないよ、汚らわしいんだよ」と嘆いたのに答えて、「お前のおやじが昔俺にこう言ってくれたぞ」と言って語った言葉です。 (この作品以降最終48作まで、満男の恋と成長の物語が作品中で大きな比重を占めていきます。それは寅さんの出番を減らして渥美さんの体力の衰えをカバーするためだったそうです。)
 
 僕は前の年に大検を通ってこの年大学1年、満男とほぼ同い年だったので、この作品以降はいつも自分と満男を重ね合わせて観ていたものでした。


 (また余談ですが僕が48作目を撮影中の大船撮影所に見学に行ったとき、黒柳徹子さんがいらしていて、渥美さんの隣に座って「笑うことが体にはとてもいいことだって、医学的にも解明されてきているのよ」と一生懸命話されていたのを脇で聞いていたのですが、渥美さんがもう笑うのが辛いくらいに癌が進行しているとは僕は全く知る由もなく、何でそんなことを言ってるんだろといぶかしく思っていたものでした。ちなみに山田洋次監督は49作で満男を結婚させ、最後の50作では渥美清を最も敬愛する黒柳さんをマドンナ役として登場させようと考えていたそうです。)

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