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英雄にあこがれて

先日、立川の公演を支えてくれた「平和をめざす戦争展」の実行委員さんたちとの懇談会に顔を出してきた。渋谷の山手教会の「平和のための戦争展」に触発されて、5年前から立川でも毎年夏に開催しているそうだ。僕は実家が渋谷だったので山手教会の戦争展が始まった80年代、僕は10代半ばだったが、何度か見に行っていた。

この日の出席者のほとんどは50~60代以上の方だった。公演の動員で大きな力を果たしてくれた各地の「9条の会」も、年配の方々が支えている。
最近では「反貧困」というような自分自身の現実生活に直接関わる問題や、派手なパフォーマンスの中で自分の存在を確認しあえるようなものには若い世代も食いついてくるが、この「戦争展」のような極めて地味な活動は、若い子たちにはあまり魅力が感じられないのだろうか。

僕は親の思想の影響もあって「戦争に反対する」「命を守る」「弱者の立場に立つ」ということに対して特に疑問を抱かずそれが当然、自明のことだと思って生きてきたが、今はもうそれでは平成生まれの子供たちには通じないのかも知れない。
平和な状態しか知らない子供に「平和の大切さ」とか言っても実感がわかないのはある意味当然のことだ。同じ意味で僕自身も実は分かっていないのに分かったような顔をして生きてきた。自分の言葉や体験に置き換える努力を怠ってきた。その結果として、人に伝える言葉を持っていない。

しばらく前に、「なぜ人を殺してはいけないのか」という若者たちからの問いかけがTVコメンテーターらの頭を悩ませていた。
同様に「なぜ死んではいけないのか」「生きていくことに何の意味があるのか」「なぜ自分や他人を大切にしなくてはいけないのか」という問いにどう答えればいいのか?大人たちが用意する、いかにももっともらしい人を煙に巻いたような答えでは、子供たちは説得はされても納得はしない。結局のところ自分が生きていることに対する実感や充実感が持てないのだろう。それは家庭や社会が悪いのか、それとも「自己責任」なのか。

しかしそんな生きている「実感」とか生きる「意味」とかいうものも、「青い鳥」と同じように探し求めても見つからないものなのかもしれない。「自分探し」における「自分」というものもまたそうだ。今あるこの自分ではない別の「自分」なんてものが、いつか見つかるのだろうか?


僕はと言えば、10代のおわりころブルーハーツに出会ってから、ほとんど成長していないみたいだけど。

「あんまり平和な世の中じゃカッコ悪すぎる
 ああ 宣戦布告 手当たり次第
 惜しまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」
          ―――「英雄にあこがれて」
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