2017 . 10 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 » 2017 . 12

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

英雄にあこがれて

先日、立川の公演を支えてくれた「平和をめざす戦争展」の実行委員さんたちとの懇談会に顔を出してきた。渋谷の山手教会の「平和のための戦争展」に触発されて、5年前から立川でも毎年夏に開催しているそうだ。僕は実家が渋谷だったので山手教会の戦争展が始まった80年代、僕は10代半ばだったが、何度か見に行っていた。

この日の出席者のほとんどは50~60代以上の方だった。公演の動員で大きな力を果たしてくれた各地の「9条の会」も、年配の方々が支えている。
最近では「反貧困」というような自分自身の現実生活に直接関わる問題や、派手なパフォーマンスの中で自分の存在を確認しあえるようなものには若い世代も食いついてくるが、この「戦争展」のような極めて地味な活動は、若い子たちにはあまり魅力が感じられないのだろうか。

僕は親の思想の影響もあって「戦争に反対する」「命を守る」「弱者の立場に立つ」ということに対して特に疑問を抱かずそれが当然、自明のことだと思って生きてきたが、今はもうそれでは平成生まれの子供たちには通じないのかも知れない。
平和な状態しか知らない子供に「平和の大切さ」とか言っても実感がわかないのはある意味当然のことだ。同じ意味で僕自身も実は分かっていないのに分かったような顔をして生きてきた。自分の言葉や体験に置き換える努力を怠ってきた。その結果として、人に伝える言葉を持っていない。

しばらく前に、「なぜ人を殺してはいけないのか」という若者たちからの問いかけがTVコメンテーターらの頭を悩ませていた。
同様に「なぜ死んではいけないのか」「生きていくことに何の意味があるのか」「なぜ自分や他人を大切にしなくてはいけないのか」という問いにどう答えればいいのか?大人たちが用意する、いかにももっともらしい人を煙に巻いたような答えでは、子供たちは説得はされても納得はしない。結局のところ自分が生きていることに対する実感や充実感が持てないのだろう。それは家庭や社会が悪いのか、それとも「自己責任」なのか。

しかしそんな生きている「実感」とか生きる「意味」とかいうものも、「青い鳥」と同じように探し求めても見つからないものなのかもしれない。「自分探し」における「自分」というものもまたそうだ。今あるこの自分ではない別の「自分」なんてものが、いつか見つかるのだろうか?


僕はと言えば、10代のおわりころブルーハーツに出会ってから、ほとんど成長していないみたいだけど。

「あんまり平和な世の中じゃカッコ悪すぎる
 ああ 宣戦布告 手当たり次第
 惜しまれながら死んでゆく 英雄にあこがれ」
          ―――「英雄にあこがれて」

道化の視線

先週の日曜日、山梨でのこの「ロラマシン物語」の最終公演を観に行った。
僕の興味・関心は専ら「この作品がお客さんからはどう見えるのか?」ということだ。だから努めて客観的に見ようとした。隣で東京メンバーのM氏はずっとボロボロ泣いていたが、僕は山梨の出演者に自分たちの姿を重ね合わせたり感動の記憶を呼び起こそうとはあえてしなかった。自分の知り合いが出ていたりするとついつい演技ではなくその人柄や努力を見てしまうのだが、今回は知らない人ばかりだからその点も冷静に見ていられた。自分たちが無我夢中で演ったものを他人がまた同じようにやり、それを客観的に眺めることが出来るという経験は面白いものだった。

カントクが衝撃を受けたという大阪版の舞台は見ていないのだが、この山梨版の舞台は僕らが演ったものとそう違わないように思えた。セリフなどはより分かりやすく丁寧で明晰になっていた。これが一応の「完成版」と言っていいのではないか。

日本軍の戦時中の残虐行為や、元「慰安婦」たちの日本政府に対する訴えは、知らなかったことではない。僕にとっての空白は戦後から80年代くらいまでの、「胸にナイフが突き刺さったまま」生き続けた女性たちの苦しみと、民族の独立を求めたフィリピン民衆の誇りだった。
アキノ革命の5年後にはアジアで唯一自国から米軍基地を撤廃させた(アメリカはそのツケを沖縄へ回すのだが)。アキノ革命ではデモの先頭には必ず修道女や花を持つ女性たちがいたそうだ。それによって兵士たちは自国の民衆に銃を向けることの誤りに気づき、無血革命が成功した。と本には書いてあった。

山梨の舞台で僕が最も心をひかれたのは、障がいを持つ出演者たちをその脇でさりげなくフォローする姿だった。
客席に向かって必死に「自分の想い」を表現しようとする姿より、さりげなく彼女たちを気遣う姿のほうに、ずっと心を動かされた。というよりそれこそが僕の見たいものだったのかと、気付かされた。一人ひとりの強い主張よりも、自分のことより他人を助けようとする、人が人を思う気持ちこそが、見る人を感動させるのか。
翻って見れば僕らは5ヶ月間の稽古を重ねてきたが、お互いを本気で助け合い、支え合うような関係が築けていただろうか。自分の演技を捨てても他人のフォローにまわることが僕に出来るだろうか。むしろ人に構わずに自分の演技を死守しようとするのではなかろうか。死守するほどの大した演技をしているわけでもないのに。


この作品が舞台作品として成立しているのか、特に女性が繰り返し強姦される屈辱が舞台表現になりうるのか、そんな疑問を僕はずっと持っていたので、観客の立場からそのあたりを見究めたいと思って見ていたが、しかしその答えは最初から自分の中では決まっていたのかも知れない。舞台上に「真実」を感じようと、想像力を働かせようと努力はしたが、やはり僕には難しかった。ダンスも歌もコトバも、その激しさ強さゆえに、どこかで違和感を感じてしまう。これらの「行為」については、ただ静かな言葉で表現してくれた方が僕としては想像力を働かせる余地があったかも知れない。「絵」で見せられると、色々余分な疑問符が沸き起こってきてしまう。いや、それは分からないものに対して分かったふりをしていた自分自身に対する違和感や疑問符を、目の前の舞台に投影して見ていただけかも知れないが。

終盤の女性国際戦犯法廷でのトマサさんの証言を、僕は女優さんの声や肉体は捨象して、文字を読むようにして聞いていた。もうこの世にいないトマサさんが遺した言葉を聞きながら、そのことの意味を考えていた。
僕にとっての唯一のリアルは、同じ苦しみを持ちながら生きている人がまだいるということ、つまり「持続する苦しみ」だ。そしてのうのうと貪り生きている自分という欺瞞的存在そのものだ。
しかしそこには深入りせず、舞台は一変して「天上の世界」になる。トマサさんという人が日本政府を相手に孤独な戦いをしているということも知らないまま、何の手も差し伸べずに見殺しにした僕らだが、戦争と日本政府を断罪することによって贖罪を受けようとする。ラストの壮大で聖なる儀礼によって、観客と僕らの内なる罪は清められたのだろうか。
ブルーハーツなら「キリストを殺したものはそんな僕の罪のせいだ」と歌うだろう。
(この「尊厳」の歌のときにカワイ君の道化という異物が闖入することに、東京では相当異論があったそうだ。僕は見えなかったので気にも留めていなかったのだが、それなら全員白塗り公家眉の道化として出ればよかっただろうかと思った。僕らもどこかで自分が愚かで無謀な「道化」の仲間であることを覚悟しなければ、この物語は演じられないと思ったのだ。)


思えば、僕はこれまでずっとこの物語の表現しようの無い悲劇も崇高なテーマらしきものも、自分には到底表現出来ない、こんなことはお芝居には出来ないと悩んでいたのだが、最後の最後にカワイ君の道化が加わってくれたおかげで、自分の中ではひとつのお芝居として、納得することが出来た。
カワイ君とコウスケ君2人の道化と幼い天使が、この物語の「見世物」としての枠組みを与えてくれた。それは神々から見た、人間世界の悲劇喜劇という見世物だ。結局自分もその見世物の中の一人の道化にすぎないと思えば、「平和」とか「正義」とか「尊厳」とかのメッセンジャーとして背伸びしなくてもいい。もともとチャップリンや寅さんのような道化者に僕は憧れているのだ。

これまで僕は必死にトマサさんの思いを掴もうと、その苦しみに身を寄せたいと努力してきた。しかしそれは永遠の片思いで、強く思えば思うほど相手と自分との隔たりばかりが意識され、ありまさんもトマサさんも逆に遠ざかって行った。
道化ダンサーの闖入は、観客の主人公への感情移入を阻害し、目の前で行われていること全体の「意味」を考えさせようとする。ブレヒト演劇でいう「異化効果」の役割を果たす。少なくとも僕にとってはそうだった。トマサさんを神聖化し絶対化しようとしていた僕の思い込みを、道化が滑稽に笑い飛ばしてくれた。道化が徘徊するこの舞台空間の上で、道化の視線が描き出すものは愚かで可笑しく哀しい「人間」の姿だ。主演女優も、僕らも、そしてトマサさんも、この愚かでちっぽけな人間の一人に過ぎない。「尊厳」なんてものがあるとしたら、この愚かさの中にこそそれはあるのではないか。寅さんが「自分の醜さを知った者はもう決して醜くないのだ」と言ったように。
まあ道化に逃げ込むことによって自分の欺瞞性を開き直ろうとしているのかと指摘されたらその通りなのだけど。

そういうことも含めて僕は今回のこの作品は、「正しいものは正しいのだ」といった傲慢な教条的プロパガンダ演劇の枠組みを超えた作品になったのではないか、「憲法ミュージカル」に新しい歴史を開いたのではないかと、そんなことをぼんやりと考えている。

「連帯」その後

気が付けば、千秋楽から半月が過ぎた。
全てが終わりポッカリと穴があくかと思いきや、仕事や家庭であいてしまった穴を埋めることに追われ余韻に浸る間もなく忙しい日々を過ごしている。
何か「まとめ」らしきことを書かなきゃなと思いつつ、正直何もまとまっているわけではない。

図書館から借りて来たがあまり読む時間の無いうちに返却期限がとっくに過ぎてしまった、フィリピンや「慰安婦」に関する山ほどの本も、先日やっと返却して来た。また時間を見つけて少しづつ読んでいこう。「日本軍はなぜ民間人を殺したのか」という興味深い研究書もあった。何でも「戦争の狂気」とか「極限状態」の一言で片付けてしまっては、歴史から何も学んでいないことになる。


遅ればせながら一応報告しておくと、立川での2回の公演も、お陰様でほぼ満席だった。千秋楽は直前に札止め(売切れ)になった。
三多摩地域の5回の公演で、5000人を超えるお客様に観て頂いた。

出来はどうだったのか?
お客さんには、何が、どう伝わったのか?
正直自分ではよく分からない。
毎回公演終了後出口のところで、観に来てくれた友人たちと言葉を交わす。一緒に社会人ミュージカルをやっていた仲間がほとんどだが、みんな大体1時間以上は電車に乗って遠くから来てくれた。そんなにメチャクチャ感動している風ではなかったが、おおむね満足してくれたように見えた。
一番多かった感想は「100人のパワーっていうのは、すごいね~」というもの。
内容については、あまり明確な「言葉」としては感想が聞かれなかった。
なんとなく「重かった」という印象が残っているようにも感じた。その「重たさ」の正体について、自分で考えて言語化してくれないと、結局ただ「重い」というイメージだけが残ってしまうのではないかと、心配だ。(実はかく言う僕自身も、埼玉の憲法ミュージカルから足が遠のいてしまったのは、やはりその「重苦しさ」にあった。帰りの電車の中で話が盛り上がらないのだ。遠いところからわざわざ、来年も観に行こうという気にならなかったのだ。)
今回観に来てくれた友人たちは、帰りの電車の中でどんなことを話し合ったのだろうか?次に会う時には、どんな言葉を聞けるだろうか?

全部で5回の公演、演る側としては毎回ただ全力で同じことをやっていたつもりだ。というかそんなに工夫して手を変え品を変える余裕も無かったし。
最高の緊張と興奮で駆け抜けた日野。
2週間間が空いてしまったパルテノン多摩。広すぎるホールの残響もあるのか、力の入り過ぎか、「歌詞が聞き取れない」という感想がすごく多かった。
続く福生では、カントクをして「圧巻だった」と言わしめた。サックスのコウスケ君曰く、主演のありまさんの気迫が凄く、自分もそれに引っ張られて初めて納得いく演奏が出来たとのこと。
最後の立川、ここから新たに道化役のダンサーが加わり、色々と波紋を呼んだが、お客さんの反応は一番良かったように思う。

全体を通してお客様からのアンケートで特に多かったのは60代以上の方からの「このようなとりくみが行われることは素晴らしい」といった、「意義」面からの賛辞だ。
又は若い子からは「こんなことがあったなんて知らなかった」というものもあった。
僕と同年代の30~40代の、90年代からの日本の「戦争責任」問題を横目で見てきた世代は、このミュージカルを観てどう思っただろうか?こういう「事実」があったことは認めるだろう。しかし日本政府の公式謝罪と国家賠償については、どう考えるだろうか。
そしてまた、この作品のミュージカルとしての芸術性や娯楽性についてはどうだったのかが、僕としては気になるところだ。もとより一般のエンターテイメント作品と横並びに比較するのは無理があるが、「これは特別のメッセージを持った特殊な作品なのだ」と開き直って良しとしたくはない。しかしそういう観点から書いてくれているアンケートはほとんど無かったので、この舞台がプロパガンダではなく、エンターテイメントとして成立していたかどうか、僕は未だによく分からない。


さて、公演期間中に出演者たちからアンケートを取り打ち上げで発表された「作品中で一番好きなセリフ」の第1位は、果たして「ソリダリティ(連帯)!」だった。結局みんながここに最も求めていたものはやはり「連帯」だったのだろう。人と人のつながりが希薄なこの時代で、実はみんな人とつながり合いたいと強く求めている。
確かに千秋楽での「ソリダリ」、僕は最後列で旗を振り、左右には黄色いTシャツを着たスタッフさんたちや事務局メンバー総出演で、最高潮の盛り上がりだった。「共に舞台を作る」という意味においての、100人を超える人々の連帯が、そこにはあったような気がする。
しかしそれはあくまで舞台上での儚い連帯だ。舞台から降りて、例えば「日本政府に公式謝罪と賠償を求めていく」ことについて、誰が連帯しているだろうか?稽古場の外では、誰も語らない。
広範な市民参加によって作るミュージカルだから、政治的立場を問わないことは大前提なわけで、「政治や宗教の話はしない」というのが暗黙の了解だ。それを持ち出すのは野暮なのだろう。「一粒の種を心の中に蒔く」といった何の実体もない言葉でぼんやりした夢を共有しあうことが「連帯」なのだろうか。

性急に答えを求めようとするのは間違いかも知れない。しかしこの「イアンフ」の問題についてはもう残された時間が無い。田中監督が折角開けた「パンドラの箱」も、放っておけば静かに蓋が閉じられるだろう。いやもうすでに閉じられつつある。それを横目で見ているだけでいいのだろうか。それでは一体、何のためにこの「ロラマシン物語」をやったのだろうか。
過ぎてゆく時間。流されてゆく毎日。遷り変わる時代。流れに逆らって生きようとする孤独な決意を持つ者と、「連帯」したいと思う今日この頃。

連帯

17日のパルテノン多摩、18日の福生市民会館、どちらもほぼ満席。
足を運んでくださった皆さんに、感謝、感謝。


どの公演でも、幕が開くと、客席の一番後ろまでお客さんが一杯だ。これがもう当たり前の光景のように錯覚してしまいがちだ。

しかし1週間前までは、多摩も福生も5~6割しかチケットが売れてなかった。
地域担当の実行委員や出演者も、悲愴な表情をしていた。これまで出来る限りの宣伝はしてきた。あと1週間で一体何が出来るのか…。

しかしそこからが、凄かった。
連日の、駅前宣伝。出演者も一緒にチラシを配った。
僕自身は家や職場が遠いため地域での宣伝行動には参加出来ず、詳しくは知らないが、それはもう1つのドラマだったに違いない。

そうして当日、いっぱいのお客様が観客席を埋めつくした。
その本当の喜びは、声を嗄らしてチラシを配った本人たちにしか分からない。僕らはせいぜいもらい泣きをさせてもらえるだけだ。
僕らに出来ることは、死にもの狂いでチケットを売ってくれた人たち、そして訳も分からず買ってくれた人たちの期待に報いるだけの舞台を見せることだろう。


公演当日は、スタッフさんたちが朝から舞台を仕込み、出演者は開演4時間前に小屋入りする。
開場までの3時間でウォームアップからマイクチェック、場当たりをこなし、開場後の1時間は楽屋でメイクや衣装などの準備。
そうしてもうすぐに幕が開いてしまう。幕が開いたあとは休憩無しの1時間50分、カーテンコールまで駆け抜けるだけだ。
気がつけば2日間、2公演が終わっていた。

一つの公演の度に「ゼロから新しく作る」と気負ってみても、実際には稽古してきたことしか、出来ないものだ。本番でいきなりこれまでの積み重ねを壊せる勇気のある人はいないし、周囲だって対応できない。そう考えるとやはりこれまで5ヶ月の稽古の過程の中に全てがあり、自分たちの何十年かの人生の中に全てがあるのだろう。それを踏まえた上で、舞台に踏み出していくしかない。

しかしそれでも、もっともっと稽古をしたかった。人々の感情が有機的・連鎖的に反応・呼応していきドラマを盛り上げるような芝居作りを、共演者たちともっと稽古したかった。今はお互いの感情を邪魔しないように、各々の狭い領域の中で自己完結出来る芝居をしている部分が大きい。もっと関わり合うことが出来れば、そこから本当の「連帯」が生まれるはずだ。

今週末の立川で、東京公演は終わる。
僕の最後の課題は「連帯」に尽きる。自分自身の演技のことはもうあまり気にしていない。
人と人が信じあい、手をつなぎあうこと。その力が未来を切り拓いていく。
100人の力で、それを示したい。

最後の稽古

土曜日の稽古は、主演女優さんの足の怪我の報告から始まった。
5日の東京公演初日のラストでリフトから着地するとき、足の小指を骨折されたとのこと。
最新の超音波治療で治療中だそうだ。11日の大阪公演楽日はテーピングで固めてやるとのことだが、あれだけの激しい動き、踊りをやって、果たして・・・。訓練された身体とプロフェッショナルな精神力を持っておられる方だが、細い体と細い骨は同じ人間だ。東京での残り4回の公演、そして山梨の千秋楽までの長い道のり、トマサさんの魂が守って下さることを祈る。

そして田中カントクからのビデオレター。
「日野の初日で「初日」が出た」(「初日が出る」とは演出家が合格点を与えたという舞台用語)との有難いお言葉。
「そうかなー。僕なんかセリフ間違えたしなー。」と思いつつ聞く。

その後はチケット普及のための全体討論に時間をかけた。しかしこういう話になると発言する人が大体固定されてしまう。チケット売りについても、演技についても、実は僕らの間にはまだまだ大きな「見えない壁」が存在する。社会で暮らす中では誰もが自分の「領域」の周りに壁を作り、お互いにその領域を侵さないことが暗黙のルールになっている。
僕らはこの作品について、他者に向かって自ら語る「言葉」を、未だ見つけ出せていないような気もする。「イアンフ」?「尊厳」?チラシや台本を読んだってそこに「正解」があるわけではない。(「一粒の種」なんていう言葉も、内輪でしか通用しない。人の心に届く言葉を見つけたくて、僕はこういうブログなんていうものを書いているのだろう。自らの閉ざされた内面と、日本中あるいは世界中の人々を繋ぐ媒体を、この電子の網に求めているのか。)
日本国憲法を守るための「運動」も、運動の外にある人々と通じ合える「言葉」を、見つけ出さなければ、運動は広がって行かない。この舞台に参加している若い世代の中からこそ、そういう新しい言葉(それは文字とは限らない)が生まれて来はしないか。そんなことを期待している。

さて。
いつでも同じ規格の演技を再生産出来る技術を持っているのが職業俳優。
いつでもぶっつけ本番、その時その場のテンションが如実に表れてしまうのが我々素人俳優。
先日の公演初日、連休中に積み重ねてきた緊張と興奮は最高潮に達し、良くも悪くも燃え尽くした。
特にこの日が人生初舞台だった人にとっては、一生に一度きりの日。あとから振り返ればこの日を境に人生が変わった、なんてこともあるかも知れない。
そんなわけで、今僕らの体の中には伝えるべき何モノも残っておらず、ただ音楽がかかれば馴らされた動物のように歌い踊ることは出来る、という状態。

そんなこんなで土曜の短い稽古は過ぎ、日曜日、とうとう最後の稽古となってしまった。

今まで振付助手や演出助手の女性たちを背中から支えていたS君(彼は音響係と勘違いされているが、「演出助手」としてクレジットされている)が、満を持して登場。
カントクから「日野の初日で出来上がったものを壊せ」という難題を与えられ、彼が考え出したのはもう一度、台本に戻るということ。
お芝居の稽古の過程では、戯曲というのは読み返す度に何らかの新しい発見があるべきものだ。最近ではとにかく忙しさに追われて、この作品自体と向かい合うことを久しくしていなかった。
今一度、合宿のときのように、トマサさんの姿を目の前に立ち上がらさなければ。その声に耳を澄まさなければ。そしてその後ろにいる多くの人々の未だ癒えぬ苦しみをどうすればいい?
満足感に浸っている場合ではない。疲れて鈍ってきている五感と想像力を、今一度研ぎ澄まさなければ。
そういう意味では一般の市民ミュージカルと違ってこの「憲法ミュージカル」の参加者たちは、たとえ千秋楽が終わっても満足感に浸って喜び合うことが許されないという宿命を、根本的に背負わされている。それもまた人生、いいではないか。

S君の発案で、M1「ハロハロ」の初期バージョン、1月14日の初回稽古の時に聴いたオケをみんなで目をつぶって聴いてみる。すると見事なまでに、初回稽古からこれまでの映像が走馬灯のごとく浮かんでくる。思えばこの「ハロハロ」だけは毎回稽古の度に歌い、街角の宣伝でも踊り続けて来た。「果てしない道のりを渡り尽くした私たち」に感動してみんなウルウル。

その後とうとう最後の通し稽古。みんなの顔から疲れが消え、目が輝きを取り戻す。人間の感情というのは面白いものだ。

通し稽古の後、風邪で見学していた女の子から鋭いダメ出しがビシバシ入る。不明瞭さや迷いを抱えたまま演じていると、見ている側には如実に伝わるのだ。まだまだ、よく分からない所もあれば、改良すべき点もある。ひとつひとつ、これからだ。

初日の強烈な残像が頭に残っていると、それをなぞることで楽な方向へ逃げようとする。それは確実に観客に見透かされる。技術を持たない素人の我々が「過去の反復」をやってしまったら、目も当てられないものになる。
積み重ねてきた全てのことは僕らの体の中に養分として蓄えられている。それを信じて、頭の中は無にして、またゼロから、多摩の初めてのお客さんと、ありまさんのトマサさんと出逢おう。そしてみんなとも。

長い長い稽古は今日で最後だったが、僕らはここからまた新しいスタートを切ったのだ。

0511anbayanco
和光高校で最後の通し稽古

0511kidoai

0511forgive.jpg
Tさんの見守る背中

0511last.jpg
お疲れ様でした!!

観客のカタルシスは

初日の舞台がはねて、僕らは兎にも角にもこの長い道程の果てに一つのことを成し遂げたという喜びを味わった。
しかしお客さんの側は、僕らのようなカタルシスは味わっていないようにも思える。
僕らが初めて通し稽古で主役の演技を見た時の衝撃、重苦しさ、それが何倍にもグレードアップしたものを観客は見せつけられたのだから。

僕がこれまで参加した舞台の中で最もハードな内容と表現を持つこのお話、観に来てくれた友人たちの反応もやはり重かった。
山田洋次さんは「トマサさんを気の毒な犠牲者として考えるのは間違いで、ジャンヌ・ダルクのような英雄なのだ」と述べられ、田中カントクはトマサさんの生き方を通じて「人間の尊厳」なるものを伝えようと試みたのだが、それは男性の側からのロマンティックな願望ではないだろうか。
女性にとってはあまりに重く痛い物語。男性は「これは目を背けてはいけない真実だ」と観念の中で処理出来るが、女性は自らの体の内側でこの痛みを受け取ってしまう。

僕としてはこの重く悲しい物語の末に、僕ら自身がトマサさんから受け取ったもの、未来を切り拓いて生きる者としての意志をしっかりと示すことによって、この物語を悲劇の女性の物語としてではなく未来への希望を示す「我々」の物語に昇華させたいと思っていた(去年僕が参加した宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」がそうであったように)。
しかし現実的には、この悲劇の主人公の圧倒的な存在感、圧倒的な演技、圧倒的な痛みと苦しみの前に、我々一般参加者の姿はかすんでしまったのではなかろうか。もはや「市民ミュージカル」という枠組みを超えてしまったのかも知れない。観客の意識はロラマシンにぐいぐいと引きずり込まれ、我々は主体者としての姿をはっきり表現して観客と共鳴し合うことが、十分に出来なかったように思う。あるいはそれは観客の側に迎合しない田中カントクの作家性の強さによるものなのかもしれないが。

「我々」の側の問題としては、やはりまだまだ稽古不足。
演者としてのアクションとリアクションが中途半端なため、その場面の意図や、ロラマシンと向き合う「我々」としての意志の明示が不明瞭なのだ。

本番当日だったか前日だったか舞台での稽古の中で、振付家が「全員で揃って前に1歩出よ」と指示したことに対して、出演者のほうは「カントクからは「揃って一斉に動くな、各々の尊厳にもとづいて動け」と指示されている」と戸惑う場面があった。
カントクとしては「いかにも機械的にみんな揃って動くのは不自然で気持ち悪い」ということだったのだが、バラバラの不明瞭な動きでは当然ながら「我々」としての総体的な意志が見えて来ない。演出家や振付家に指示された動きであってもそれがわざとらしくないように見せること、自分の内面にその動きの動機をきちんと持つこと、またはその場面の情感や音楽の高まりに共鳴して一斉に動くことによって舞台全体の空気を動かすこと、これは役者にとっても演出家にとっても基本的な技術の範疇だ。そういった動き方が本番当日まで作れなかったこと、それはやはり稽古場に演出家や振付家がいなかったことが響いていると思う。

また、「自分らしく」「自分の個性で」という思いが、東京の出演者の場合はともすると個人プレーになりがちで全体の一体感を損ねてしまうようだ。うちのカミサンは「みんな女優、男優が多すぎて、どこを見ていいのか迷ってしまう」と言っていた。東京は舞台経験者も多く、「こう演じよう、こう見せよう」という色気が、観客の感動の目障りになりかねない。カントクが「自分自身であれ」と言っているのは、「演技をしようとするな、市民としてそこに存在せよ」ということではないのか。

僕自身も、初日まではその場の感情に溺れ浸るままに表現しようとしすぎていた。
これからは余分なものはそぎ落として、ただ誠実に、出来る限り無垢に、そこに存在するように心がけたい。我々の「意志」を、太く、深く、真っ直ぐな1本の束として観客に届けられるように。
僕は自分が感動したくて舞台に立っているのではない。観てくれるお客さんの心を動かしたいからやっている。
だからもう僕は、余計な涙は流さないことにした。

初日

初日が終わった。
観客動員は910人。公演としては大成功と言ってよいのだろう。
僕個人としては、まだまだ、不出来だった。

自分にとって最大の難関である「PTSD」についてのセリフ、やはり練習不足、力みすぎだった。
PTSDの発症率についての数字を4つ列挙するのだが、この数字は完全に覚えているにも関わらず、リハーサルでもゲネでも、下1ケタを言い間違えた。しかし本番ではここは間違わずに言えた。それで安心したのがいけなかったのか、あるいはやはりもう舞い上がっていたのか、続く部分で「長期的に続く性暴力」という言葉を飛ばして次の「幼児期からの長期被害」と言ってしまった。いった瞬間に「しまった!」と思い必死にその前の言葉を思い出そうとしたが思い出せずに、仕方なくそのまま次の「発展性ストレス障害を…」につないでしまった。
それに続く「胸に突き刺さったままのナイフ」というくだりも、どのように表現すればいいのかずっと迷ったまま本番になってしまい、未消化のままで、結局力任せ、感情のままのような言い回しになってしまった。これでは駄目だ。演者の過剰な表現は却って観る者の気持ちを引かせてしまう。それは底の浅い、言葉の表層を表しているだけだ。感情を抑制しながら、淡白にならず、単調にならず、深い哀しみが滲み出るようには…。「これだ」と思える語り口を見つけるまで、もっともっと試行錯誤を繰り返さないといけない。今は全然練習不足だ。

そんなことで落ち込みはしたが落ち込んでる間もなく舞台はどんどん進んで行く。衣装替えやマイクの付け替えに追われながら、粛々と舞台は進み、初日の幕は下りた。
カントクは「客席の反応を楽しんで来い」と言っていたが、正直それほどの余裕は無かった。自分の出番が一つ終わるごとに舞台裏で次の場面に向けた準備に頭を切り替えなければならないので、余韻に浸る余裕は無かった。

「Forgive But Not Forget」の後で拍手が来なかったので「あれ~?」と思ったが、後で観た方に聞いたら「あれは拍手をするような曲ではない」と言われた。言われてみればその通り、僕も観客の側なら拍手出来ないかもしれない。我々日本人一人ひとりの、欺瞞的な生き方を問い詰めるような歌なのだ。拍手が来なかったということは、それだけ観客の側がこの歌の内容を受け止めていたということだろう。
それに対して拍手を期待してしまうということは、僕らの「観客を感動させよう」という愚かな下心が、観客の持っている市民感覚とずれてきてしまっているということなのか。あるいは集会やメーデーの舞台で、平和運動の内部にいる人に向かってばかり歌っているうちに感覚が麻痺してしまったのか。「活動家」はこういった直接的なメッセージ色の濃い歌を喜ぶかもしれないが、一般の観客にとっては、手放しで「感動」できる歌ではない。まして「泣かせる」ような歌でもない。僕が集会のときに間奏に入れた語りは、未整理な感情を情緒的になってぶつけただけだ。「胸に突き刺さったナイフ」の未熟な表現と同レベルのものだった。
もっと静かで、太く、深い表現を目指さなければ。

千秋楽の幕が下りるまで、僕らの表現はどこまで進化することが出来るだろうか。


下記サイトで舞台写真が見られます。
舞台写真家新さんのサイト

神の目線

いよいよ本番1週間前となった。今日は本番と同じ日野市民会館ホールを使っての稽古だ。
大阪から戻って来られた田中カントクも今日からは東京に詰める。指導者によって少しづつ指示が異なる稽古に戸惑っていたので、カントクが付いていてくれるのはとても心強い。それだけで安心できる。

土日の疲れもとれない体だが、喉の調子は回復してきた。本番は大丈夫だろう。

この日野のホールは、客席の傾斜がかなり急だ。舞台から見ると壁がそそり立っているようだ。2階席もかなり近い。お客さんからはどこからでも見易いだろうけど、舞台に立つ側はその圧力に呑み込まれそうになる。相当目線を上げないと、2階席まで気持ちが届かない。
このホールの2階席からの視線は、まるで神の目線のように舞台上の人間どもの営みを隅から隅まで見渡してしまう。カントクも今までフラットな稽古場では見えなかった部分を細かく指示する。特に舞台一番奥の両角のポジションをしっかり取れと言う。
また「ミザンセーヌ」(役者の導線や位置関係、その変化)ということについても話された。集団の動きに美しい秩序を求めている。もちろん機械的に動くのではなく、各々が各々の意志によって動きながら、それが全体として美しい絵になるように。
カントクの目線もやはり一種「神」からの目線だ。この人間の業を凝縮したようなドラマを美しいミザンセーヌによって観客に提示したいのだ。

ちなみにこの「ミザンセーヌ」について、演出家の山田和也氏は次のように書いている。
「ある瞬間の位置関係は、その瞬間のドラマの構造を表している。ドラマの構造とは、聞こえてくる台詞やそれを発している人物の感情とは別の、そのシーンを観客にどう受け取って欲しいかという作り手の意志の事である。
映画などの映像表現に於ける「視点」という概念を、観客にアングルを強制する事のできる「カメラ」という武器を持たない演劇で実現しようとする演出家の手段の事でもあるのだが、私にとってのミザンセーヌとは、上演中常に水面下に潜んでいるが、それでも流れ続けているドラマの構造(それが「プロット」である。水面上にあり、観客が常に意識している「物語」とは区別されなければならない。)を表し続けているものなのである。」

今日は大阪でも公演をしており、主演女優は不在だ。その代役として出演者の一人がロラマシン役をやった。前日にいきなりやってくれと言われたとのことだったが、熱演だった。僕らは彼女のアダ名をもじって「ロラマリン」と呼んだ。
しかしあらためて思ったのは、この物語の主役を演じる俳優はめちゃくちゃ大変だな、ということだ。ロラマリンも、自分の本番の前にこれだけ体力を消耗してしまって大丈夫だろうか。

そしてこれを1ヶ月以上、遠距離移動をしながら続ける本役の女優さんの肉体的・精神的な消耗は僕らの想像を絶する。ドラマの進行の中で彼女は少女から老婆へとなっていくのだが、やる度に本当に寿命が縮んでしまっているのではないかと思わせる。職業俳優というのはその技術力によって役を造形し、仕事として演じるのだという僕のこれまでの観念を崩された。本当にその役を生きてしまうのだ。

僕のような趣味でやってる素人役者が同じ板の上に乗るのは相当無理がある。あまりに温度差がある。しかも一緒に稽古が出来る回数が少ないのだ。
僕らは日本兵やフィリピン人の衣装をまとって出るが、所詮は形だけ、中身はやはり現代東京人なのだ。それは観客のほうも了解している。僕らはある意味市民である観客を代表して、たまたま舞台に立っているに過ぎない。
その舞台で、僕らは主演女優が自らの肉体を通じて呼び寄せた(そう、彼女は巫女なのだ)トマサ・サリノグの魂――少女から、老婆になるまでの――に出会うのだ。その少女の魂は僕らの目の前でズタズタに傷つけられ、それでも「何か」を求めながら生き、消えてゆく。その「何か」とは、「愛」なのか「正義」なのか「尊厳」なのか。
僕らの世界が見失いかけているその何かを、僕らはこれからもう一度探し始める、その始まりの物語なのだろう。

テーマは「愛」

今日の稽古には昨日の大阪での初日を終えて振付の石橋先生、音楽のマツノブ先生とロラマシン役の女優さんが駆けつけてくれた。石橋先生はかなりお疲れのようだが、初日の興奮と熱気が冷めやらぬ中、その感動を伝えようとしてくれる。
大阪は東京と比べて平均年齢がかなり高いそうだ。先生方の要求するものを、東京ほど器用にはこなせない。しかしそれゆえその必死さが、先生方をして涙させるほどのものになる。あるいは出演者の「心」が、観る人の心を打つのだろうか。

さて、限られた稽古時間の中で、先生はラストの男女の踊りを念入りにチェックする。考えてみれば、2週間前の合宿で初めてこの振付がつけられて以来、先生に見てもらうのは今日でやっと2回目だ。そして最後なのだ。
この踊りの中で男女が手を取り合って回るシーンがある。一瞬の何気ない部分だが先生には相当の思い入れがあるようだ。「出来れば抱き合わせたかった」と仰っていた(抱き合うと絵的に見苦しくなりそうでやめたのか、女の子が嫌がりそうだからやめたのか)。
石橋先生はこの握り合う手に「愛」を込めろ、と言われる。

すっかり忘れていたが、この作品のテーマは「愛」だ、ということをカントクは言っている。愛を壊された女性が、愛を取り戻そうとする物語なのだ、と。
言葉にすれば陳腐だが、力も金も無い者が最後に武器にするのは愛しかない。この世界を変えてゆけるのも、愛の力以外に無いのだろう。
この「ロラ・マシンの物語」は、ラストの踊りによって「愛の物語」として昇華する。石橋先生の振付とマツノブ先生の曲は、それにふさわしく、圧巻だ。

ところで、最近歌がやや雑になってきているという指摘を受けた。最初のころはみんな緊張し歌詞を思い出しながら丁寧に歌っていたが、最近は感情の任せるままに歌うようになってきている。それで汚く聞こえるのだろうか。感情が昂ぶれば、どうしても楽譜通りには歌えない。ソロならそれくらいの方がいいのだが、合唱だとそれではいけないのだろう。黒人のゴスペルクワイヤのように感情も十分に表現しながら、歌もしっかり聴かせられるような力量は僕らには無い。感情に溺れれば肝心の歌が汚くなる。
以前は無かったことだが、最近は僕も周りも、自信たっぷり大声で歌詞を間違えて歌っているのがよく聞こえる。歌詞を思い出しながら恐る恐る歌っていた時はそういうことは無かったのだが。僕も今日はラストの「尊厳の門」の女性だけで歌うところを思わず気持ちのままに歌い出してしまったり、1番と2番の歌詞を間違えたりした。初めてのことだ。慣れてきてしまって気持ちが緩んできているのだろう。
今一度、意識の「集中」を高めていかなければ。

427solida.jpg


427dakatu.jpg


4・27ハロハロ

疑問符

今日はいよいよ大阪で幕が開く。
初日のチケットはほぼ完売だとか。

今日は稽古は無く、立川九条の会の記念講演会でのステージ出演。
先週の稽古で、今日歌う「Forgive But Not Forget」の間奏部分(本番では主役の男性のソロが入るのだが彼が不在のため)、何か言葉で語れと、指名されてしまった。「なんで俺がそんな難しいことを~?もっと若い子や、もっと大人の人がいるだろうに」と内心思いつつ、自分も段々そういうポジションを担う役回りになってきたということなのか。

さて一体何を言えばいい?
僕は正直この歌はそれほど得意じゃない。この歌を歌うたびボロボロ泣いてる子もいるけど、僕はちっとも感情が込められない。もちろんこの歌は感傷に溺れる歌ではない。日本が戦争中したことを「許そう、だけど忘れない」という、アジアの人々からの声。カントクの指示では、この歌では我々はアジア人の立場に立って、観客である日本人にその思いを届ける、ということだった。
この歌の持つ「反戦・反省」のメッセージの強さゆえに、これまでも何度かプレ企画の舞台で歌ってきた。しかしいつも歌っている自分に対して空々しさを感じているのだ。
音楽のMatsunobu先生の言葉ではこの歌は「覚悟」を歌う、ということだ。自分に「覚悟」が無いとは思わない。しかしその覚悟を他人に伝えて共感を得るのは極めて難しいのではないか。そこに押しつけがましさや教訓くささがあったら聞く人は引いてしまう。
昔岡林信康が「信じたいために疑い続ける」と歌ったが、僕も信念や覚悟というものよりむしろ疑問符ばかりを抱えている人間だ。その疑問符をこそ、人と共有したいと思っている。


教えて下さい
あなた方の 優しいほほえみの 奥深くにある 悲しみを

私の国は あなた方の国で 何をしたのですか
あなた方を どれだけ 殺したのですか

教えて下さい
あなたが生きたくても生きられなかった未来で
あなたはどんな夢を持っていたのか
戦争なんてない平和な祖国を きっと

私たちはどうしたら許されるのでしょうか
この国に生まれて 何も知らないまま ただ生きている
どうしたら 私が私自身として あなたのために涙を流すことを 許してもらえるのでしょうか

もう一度 あなた方と 出会いたいのです
国を背負い 国を越えて 歴史を背負い 歴史を越えて
共に生きる 未来のために

  1. 無料アクセス解析
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。